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◇◇◇
「ったくもう、恥ずかしいったら、ありゃしない」
歯医者さんを出たところで、母ちゃんがはきすてるように言った。おれを見る目には、軽蔑の色しかない。
「あんた、もう五年生でしょ? ちょっとはがまんできないの? 奥歯をほんのちょっぴり削って、詰め物しただけなのに」
「だってえ」
おれは抗議する。
だって痛いんだもん。怖いんだもん。がまんなんて、できるもんか。
「まあいい。とにかく終わったんだから」
と、父ちゃんがため息をつく。
「父ちゃん、約束の場所、つれてってくれるんだろうね?」
「ああ、ファミレスな。翔馬がちゃんと歯医者に行ったらつれていく、って約束したもんな」
「おれ、ちゃんと歯医者に行ったぞ」
「ああ、えらいえらい」
父ちゃんがおれの頭をなでてくれる。
「ただ、な」
「ただ?」
「その前に、もう一ヶ所だけ、用事をすませないとな」
父ちゃんがおれを見て、ニヤッと笑った。
いやな予感がする。
父ちゃんが続けた。
「家族三人で、これからインフルエンザの予防注射を打ちにいこう。ファミレスは、そのあとだな」
「ちゅうしゃ……」
おれの頭のなかに、注射器の映像が、あざやかにうかびあがった。
半透明の筒。その先に光る金属の針。おれの腕をつらぬく金属の針。
ぎゃあああああ。
おれはふたたび絶叫した。
逃げようとするおれの腕を、父ちゃんがしっかりとつかんで離さない。
ああ、世界はこんなにも拷問に満ちている。
〈了〉
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