5.俺は、造花が生花より劣っているなんて思わない

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5.俺は、造花が生花より劣っているなんて思わない

「孝貴、さん」  慌てて目元を拭う。ごまかせただろうか。流れるように笑顔を浮かべ呼びかけるが、孝貴の顔は綻ばない。南波の笑顔を見たらいつだって和らいでくれるはずの彼の顔は硬く凍り付いている。 「なんか、その、寒くて。急いで車戻ろうとしたんだけど。こけちゃった。めっちゃ痛くてつい、泣いちゃったよ。はは」  言い訳に少し無理があったせいだろうか。孝貴はやはりなにも言わない。沈黙が重くて南波はさらに笑う。 「そうだ、肇とちゃんと話、できた? なかなか来られないんだからもっと……」 「笑うな」  低い声が唐突に投げかけられる。え、と言葉を途切れさせた瞬間、ぐい、と後ろ頭に手がかけられた。わけがわからないうちに頬に触れたのは、孝貴のまとう、チャコールグレーのコートの少しけば立った肩口。  孝貴さん、と呼びかけようとした声を封じるように、後ろ頭にかかった手に力がこもった。 「笑ってほしくない。お前の笑顔、今は見たくない」  きっぱりと言われ声が喉の奥で止まる。中途半端に止まった表情のまま、南波は呼吸を整える。 「ごめん、あの」 「謝るのも聞きたくない」  ぴしゃりと出口を塞ぐように孝貴は言う。沈黙しか返せず、腕の中、肩を震わせる南波の耳元で孝樹が低い声で言った。 「なあ、お前は俺のこと、馬鹿だと思ってるの」 「そんなこと……」  とっさに首を振ると、孝貴の手によってぐい、と体が引き剥がされた。南波の両肩を掴んで孝貴は怒鳴った。 「お前が今、なに考えてるか、俺がわかんないと本気で思ってんのかって言ってんだよ」  言葉を失う南波の肩を揺さぶり、孝貴は言葉を継ぐ。 「南波、思ってるよな。肇じゃなくてごめん、とか、自分なんかが、とか」  違う、と言うべきだ。なのに、唇が震えて……言葉にならない。  はああ、と深い息が吐かれる。その白い息をぼんやりと南波は目で追う。憤りの塊のようなそれを孝貴はいくつも吐く。 「わかってはいるんだ。南波の性格ならそう思う気持ち、完全に消せないんだろうなとも。だけど、俺は嫌なんだ。お前がそういうもやもやを抱えたまま、俺に気使って笑うのだけは。無理して笑うくらいなら、俺に全部ぶつけてほしいって思う」 「全部って……なに?」 「肇じゃなくてごめん、とか、そういうのだよ」  真顔で言われたとたん、白かった世界が一気に陰った気がした。くらくらしながら手を上げる。  どん、と孝貴の肩を突き、南波は雪の上で後ずさった。 「残酷すぎるよ。そんなこと、今さら言ったら、もう一緒に笑えなくなっちゃうのに」 「なんで一緒に笑えなくなる? 俺はお前になに言われても変わらないよ」 「どうにもならない重いことを言われて? それでも俺のこと、嫌わないって? そんなの無理だろ! 俺だって自分を最悪だって思ってるのに、そんな」 「関係ない!」  不意に強い声が南波の言葉を遮る。孝貴が雪の上に膝を突いたまま、南波の目を覗き込んできた。 「俺は何度だってお前の言葉、否定できる。だって俺は思ってないから。お前が肇でいてくれたらなんて。微塵も」 「……昔は、思ってたくせに」  ああ、これは駄目だ。こんなことを言っては駄目だ。  わかっているのに、止められない。 「肇とここが同じとか違うとか比べてたくせに。わかってるよ。今は別々の人間として思ってくれていることは。でも、それでも俺は思うことがある。肇が生きていたらって。生きていたら、孝貴さんは……造花の俺を、振り返ったりはきっとしなかっただろうから」 「造花」  低い声が繰り返す。普段から表情のない顔がますます色をなくしていく。  その顔を見て南波は即座に後悔する。どう考えてもこれは……ルール違反の発言だった。  そもそも肇さえいなければ、と粘ついた思いを抱き、その想いを口にすることは。  でも、出てしまった言葉は、地面に落ちてしまった雪と同じだ。もう、空へ帰ることは、できない。  謝罪を必死に形にしようとする。けれどそれより早く漏れた貴貴の低い声が、南波の口を塞いだ。 「俺は……造花が生花より劣っているなんて思ったことはないよ」
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