もういちど、さいしょから。

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──俺は妹を守るために生まれた。妹のために全てを賭して、彼女の笑顔を何よりも第一に考え、健やかな毎日を送ることが出来るように取り計らう。妹は俺の存在意義だ。俺の世界は彼女を軸に成り立っている。 『長子は末子を慈しむもの』という世の風潮を疎む人間も少なからず居るけれど。俺は、少なくとも俺にとっては、妹が世界の全てだ。彼女が笑い、楽しみ、何事もなく毎日を過ごす。それ以上の喜びがあるだろうか。 俺の毎日は、間違いなく幸せで満たされていた。 だが、そんな幸せは長く続かないことを俺はのちに身をもって知ることになる。 ある日、妹は俺に尋ねた。 「おにいちゃんの好きなことって、なぁに?」 「お前が楽しそうにしてることかな」 「そうじゃなくてさぁ。んー……おにいちゃんが楽しいなあと思うこととか、美味しいなあって感じる食べ物とか」 「俺は何でも食べるし、嫌いなことは無いよ」 「それ、ホントに?わたしの苦手なピーマンも食べるし、嫌いな算数も出来るし、お友達とケンカもしないの?」 「俺は誰のことも嫌いじゃないからケンカもしないし、ピーマンも食べるし、算数も出来る」 「──……」 妹は、俺の言葉を聞いて頬を緩ませた。いつもの花開くような笑みとはまた違うことに違和感を憶える。今までに見せたことのない、ひどく達観した笑みだった。 空気に、どろりとした諦めが交じる。 「……?」 心の中を嫌な感覚が満たす。澄んだ水にひとさじ真っ黒なインクを垂らしたような澱みは、あっという間に心を蝕んだ──ああ、嫌だ、いやだ。薄気味悪い笑みだ。お前は今までそんな顔をしたことはないだろう。裏表の無い笑顔は俺が何よりも大好きなもので、それで、それから。 それで、それから。 それから。 俺は彼女を、どうして守りたいと思ったんだろう。 妹は笑みを浮かべたまま、どこか寂しそうに呟いた。 「そっかあ……。 もう『きみ』は、そこで止まったままなんだね」 突き放したような、それでいて憐れむような声。 その瞬間。 俺は、文字通り言葉を失った。 妹は、慈しむような声で言葉を続ける。 「キライなものがないひとなんて居ない。いやなことを乗り越えたい時に、いちばん傍で見ていてくれるのがお手本になる『おにいちゃん』なんだっておかあさんが言ってた」 「いっしょに成長して、いっしょに心を育てていくのが『きょうだいのあるべき姿』なんだって」 とおくでガラスが砕けるような、硬質で澄んだ音がした。 いや。『ような』では、ない。 見えている景色に幾重もの罅が入る。寂しそうな笑顔がひび割れて、砕けて。徐々に見えなくなっていく。 世界の全てが、砕けていく。輝きながら終わっていく。 まるで今までの言葉たちすべてが、 虚像だったかのように。 やがて、粉々になった世界の中で妹は呟いた。 「だいじょうぶ。何度だってやり直せるよ、今度こそ完璧な『きょうだい』になろう。 こんどは上手に、じょうずに、あなたを育てるから。 苦手なことも、キライなことも、いっしょに乗り越えていこうね。大好きだったよ、『おにいちゃん』」 ──もういちど最初から、はじめよう。 こんどは間違えたりしないから。
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