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幼体はやがて二本足で立てるようになった。
それまでは「あー」だの「うー」しか言わなかった声も、明瞭な言語になっていき、自分の名前も認識できるようになった。
我が下僕の子供の名前は「心春」だ。そして女の子だ。
心春が父親のことを「おとうしゃん」、母親のことを「おかあしゃん」と呼ぶと、夫婦はただそれだけで床を転げまわって感激していた。まったく単純な奴らだ。
それから心春は私のお腹の肉を小さな手でつかむと「せあぶら」と呼んだ。
……そこは背中じゃない。腹だ。
まぁ、許しておいてやろう。一度決まってしまった名前だから。それはそれとして、私は心春にタックルして転がしてやった。この名前が不愉快だということは教育してやらねば。
心春は毎日私と遊び、成長していった。
夏は涼しい場所を奪い合い、冬は寄り添って眠った。
両親が仕事で外出しているときは留守番を共にし、家族がそろっているときは、私はその中心に立ってホストとしての役目を果たした。
学校に入学してしまう時期が来て、心春はニンゲンの友達と遊ぶことが増えた。私は寂しかったが、仕方のないことだ。ニンゲンの社会でうまく馴染めなければ、成長したときに豊かな生活を送る可能性が低くなる。そうなってしまえば下僕としての価値が下がるだろう。
だから私のするべきことは、たまに友達と喧嘩して家で泣いている心春の隣で背中を合わせてやるくらいだった。
心春はいつも私を撫でるときに笑顔だった。
だがあるころから、困惑するような表情が増えた。何か良くないことがあったのだろうか。
自分の母親に向かって、心春はこんなことを言った。
「ねぇ、せあぶらだけど、ちかごろ痩せてない?」
痩せた。ふふん、やっと気が付いたか。私だってダイエットしているのだ。いつまでもたぷたぷのお腹のままではない。
私の日々の努力を褒め称えて欲しかったところだが、母親は答えた。
「しょうがないよ。もうお爺さんだからね」
なんだ。見る目のない奴め。そのあとも、母親と娘は口々に、私の毛並みが悪くなってきたとか、動きが遅いとか、失礼千万な話を始める。
まったく。心配性どもめ。私がそんなに簡単に衰えるものか。
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