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 僕はこれまで、人間関係というものに対してあまり執着してこなかった。友達がいなかった、というわけではないが、親友と呼べるほど彼らと親しかったのかと訊かれるとそれは甚だ疑問である。  もっというなら、僕はその時点で恋愛という感情を抱いた事すらなかった。おそらくそれは、かなり稀な事なのだろう。  そんな僕の恋愛事情がゆるやかに発展したのは、高校3年の春の事だ。  学校から帰宅し、いつものように勉強をしながらメにその日の出来事を聞かせていると、彼は珍しく『その話、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?』と僕に詰め寄ってきた。  僕は思わず「え?」と声を出してしまった。 「市川に彼女が出来たって話?」 『そうです。やけに無関心な態度でいうんですね』 「いや、感心してるよ。あいつ良いやつだし、いつも彼女ほしいっていってたし。良かったなって思うよ」 『そうではなく。コウヘイは恋人がほしいとは思わないのですか?』 「いや、今のところはないかな」  本心からいった。気になる相手などいなかったし、そもそも無理につくるようなものでもない。結婚だってずっと先の話だろう。  しかしメはレンズをきいきい鳴らしてから、『本当にそうでしょうか』といってきた。 「どういう意味?」 『わたしは毎日コウヘイの話を聞いていますが、コウヘイは好きな人がいますよ。自分で気づいていないだけで』 「僕が? 何それ。誰?」 「カエデです。クロサキカエデ」  カエデ。黒崎楓。  頭の中で変換してから、思わず「冗談だろ?」といってしまった。  黒崎は同じクラスの生徒だ。長い黒髪が印象的で、落ち着いた雰囲気がある。文武両道で友人も多く、僕も含めまわりからは一目置かれるような存在だった。  しかし、メのいう事に対しては首を傾げる事しか出来なかった。確かに彼女は尊敬に値する人物だと思うし、いわゆる『魅力的な人』だとも思う。いくらか会話をした事もあるし、テスト勉強で分からないところを何度か教えてもらった事もあった。  だが、それだけだ。彼女に対し、特別な感情を抱いた事など1度もない。  素直にそう伝えると、メは『分かっていないですね』と抑揚のない声でいった。 『コウヘイはカエデに恋をしていますよ。彼女の話をする時、コウヘイはいつもより楽しそうな表情をしています。声のトーンも若干高いです。わたしには分かります』 「気のせいじゃないの? 本当にそんなの、1度も思った事ないよ」 『コウヘイは奥手だから、自身でそう思い込んでいるだけです。……今度告白してみたらどうですか? OKされたとしてもフラれたとしても、きっと良い人生経験になりますよ』 「いやだよ。だいたい、僕は今受験の事で頭がいっぱいなの。それどころじゃないんだ」 『では、受験が終わったら告白するという事ですね?』 「そういう事じゃなくて。……はあ。もういいよ、それで」 『約束しました』 「はいはい」  そのうち話をするのが面倒になり、僕は適当に返事をした。そんな事よりも、今対峙している英文を翻訳する事の方が僕にとっては大切だった。 ――ただ。テキストのページをめくりながら、僕は頭の隅で黒崎の事を考えていた。  僕は本当に、彼女の事が好きなのだろうか。  メのいうとおり、単に自分で気づいていないだけなのだろうか、と。 「……」  彼女の事を、僕がどう思っているのか。  その答えは、実は未だに出ていない。
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