仇敵

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仇敵

あいつは飄飄(ひょうひょう)と歩いてきた。 喧嘩になっても、腕っぷしならぼくなんかに負けないとでも思っているのだろう。 あれから2回ほどエサを喰らって、よりおぞましい姿になった怨霊が見えないから平気なのだ。 「やはり来るんじゃなかったな」 あいつが呟きながら印を結ぶと、足下から犬の鼻面のようなものが生えてきた。 ――だましていやがった。 無能のふりをしていたんだ。 喚び出されたのは白狐と思しき獣の霊、陰陽師の使役する識神(しきがみ)だ。 「能力(ちから)があるくせに、女を見殺しにしたのか」 ――外道め、許せぬ。 ぼくの憤りが伝わったのか、怨霊が腹に響くような唸り声を上げた。 あいつは呪文の詠唱が終わると、深く息を吸い込んだ。 「未音さんを守れなかった事実は認める」 倍音を含む低い声が響くと、白狐の口元から牙がのぞいた。 「だったら、おとなしく喰われろ。女たらしの陰陽師め」 あいつは挑発に乗らず、静かに構えをとった。 白狐が跳躍のために身を低くする。 身の危険を察知したのだろう、ぼくに憑いた怨霊が飛びかかっていった。 軽乗用車ほども大きな2体の獣がもつれあうように格闘を開始した。 あいつは黒い霊を指差した。 「どこであれほど巨大な霊を拾った?」 口もききたくない相手だが、ぼくの覚悟は伝えておかなければならない。 「いのちがけで育てたんだよ」 「自分にまで嘘をつくのか。懸けたのはすべて他人の命だろう」 あいつにはまともな理屈が分からないとみえる。 議論するだけ無駄だと、ぼくは悟った。 復讐を果たすことが最優先だ。 万万が一に備え、武器を持ってきてよかった。 ぼくは肩掛け鞄から軍用ナイフを取り出す。 黒い怨霊と白い識神は互いに上からのしかかる体勢を取ろうとしている。 組み合って転がるのを横目に、ぼくは仇敵に向かって駆け出した。 ところが、あいつも同じことを考えていたらしく、手に短刀が握られていた。 「みのんを盾にした、ひきょう者め!」 ぼくの正しい非難に腹を立てたのか、あいつの口が歪んだ。 「まさか、勝った方が正義だ、なんて言うなよ」 安い挑発だ。 ――そのとおりに決まっているだろう。 ぼくは返事もせず、相手に飛びかかった。 深夜の境内に一度だけ、刃のぶつかる音が鳴り響いた。 (了)
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