第一章 時代

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第一章 時代

『国民の知らない戦い』 新しい世紀まで後10年になった世紀末の1991年世界の歴史は大きく動いていた。 前年の1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻して、アメリカを中心とした多国籍軍が1991年1月17日に砂漠の嵐作戦を開始した。 やはり、1990年には東ドイツの崩壊により、東西ドイツが統一された。 ヨーロッパでは大きな変革の波が起きていた。 1991年8月にはソビエト連邦共産党内の保守派と軍部がゴルバチョフ書記長のペレストロイカ改革を阻止しようとクーデターを画策したが、失敗におわった。 この事件でゴルバチョフ政権は政治的影響力を失い、多くの共和国が独立を宣言し、12月25日にはゴルバチョフは辞任した。 核兵器の発射コードを含む国家権限を譲り受けたエリツィンはロシアの初代大統領となった。 その夜、クレムリンからソ連国旗が降ろされ、ロシアの三色旗が掲げられた。 日本は、イラクに対する多国籍軍への多額な金銭的支援を行ったが、世界からの評価は無く、国連改革で常任理事国入りを切望している日本政府は、国連に対する人的支援をおこなうために、国際平和協力法の成立を画策していた。 これは、カンボジアへの自衛隊の派遣を目的にしており、自衛隊を違憲な組織としている野党は、海外に自衛隊を派遣する法案に反対していた。 日本政府は野党の反対を押し切り 6月19日には国際平和協力法公布(8月10日施行)し、6月29日には国際緊急援助隊法改正も公布と同時に施行していた。 日本国民の目はロシアとカンボジアに向けられていた。
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