02話「思い出話」

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02話「思い出話」

 仕事帰り、夏井光一は最寄り駅近くの居酒屋へ足を運んだ。  転職して数日、まだ新しい職場に馴染めない疲れを癒すため、軽く飲もうと思ったのだ。暖簾をくぐり、中に入ると見覚えのある背中が目に入った。 「あれ、瀬尾……? っは、部長」  声をかけると、その背中の主が振り返る。 「あ、夏井さん……こんばんは」  そこにいたのは、職場での冷静さとは打って変わって少し柔らかい表情を浮かべた湊だった。  テーブルの上にはグラスと、まだ食べかけの枝豆が置かれている。 「えっと、一人で飲んで……?」 「はい。たまにはこういう時間も必要なので」 「意外、ですね。部長は常に完璧、みたいなイメージでしたが」 「はは、そんなことありませんよ」 「……せっかくだし、隣いいですか?」 「もちろんです。ご一緒しましょう」  光一が湊の隣に腰を下ろし、店員にビールを注文すると湊は何気なくグラスの中の酒を揺らした。 「――そういえば、懐かしい夢を見たんです」 「夢?」 「昔のバイト時代の夢です。レストランでアルバイトしていた頃の、お客さんのオーダーを取ってる自分を見て……いや、正確にはオーダーを取ろうとして失敗してましたけど」  湊が自嘲気味に笑い、グラスを置く。光一はその言葉に思い当たる場面があった。 「ああ、あの頃の……よくドタバタしてたよな」 「そうですね。毎日怒られたり、ミスをフォローされたり……夏井さんには本当にお世話になりました」  湊の目が少し遠くを見るようになる。その視線に促されるように、光一も記憶をたどった。 ☆ ☆ ☆  ――初めて瀬尾が接客に立った日のことだ。 「すみません、カプレーゼをひとつ……いえ、ふたつ……あ、いや、やっぱり……」  客のオーダーに戸惑い、湊がオーダー端末を操作する手を止める。最後には確認を怠ったせいでオーダーミスが発生し、クレームを受けることになった。  バックヤードに引き下がった湊は、肩を落として深いため息をついていた。 「……もう嫌になりますね。僕、向いてないかもしれません」 「バカ言うな」  そこに現れた光一が湊の背中を軽く叩く。 「最初から完璧な奴なんていないさ。ミスするのは当たり前だ。それより次、同じミスをしなきゃいいだけだろ?」 「……でも」 「いいか、客のフォローは俺がやったし、店長も何も言ってなかっただろ? お前が気にするほどのことじゃないよ」  湊はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。 「――あのときの夏井さんの言葉、今でも覚えています」 「……大袈裟だな。そんなの、誰だって言うことだろ」 「いいえ。あの言葉がなければ、僕はバイトを辞めていたかもしれません。場合によっては、この職に就くことだってなかったかも……」  湊はコップを口に付けて、安堵の溜息を交えながら再度口を開く。 「結局、夏井さんにはいつも助けられてばかりでしたね」 「気にするな。あのときは俺が先輩だったんだから当たり前だろう?」  そう答える光一だが、湊の真剣な表情に少し胸がざわついた。  湊がグラスの酒を今度は飲み干し、静かに口を開いた。 「若くして上司になるのは、なかなかプレッシャーがありますよ。年上の部下にどう思われているか、不安になることもあって」 「……それ、俺のことか?」 「ふふ、どうでしょうね」  少し酔った湊が、曖昧に笑う。 「でも夏井さんがいると、なぜか安心するんです。昔も、今も……ね」  その言葉に、光一は言葉を失った。湊の視線がどこかまっすぐすぎて、冗談とは思えなかったからだ。  居酒屋を出ると、湊が軽く頭を下げる。 「今日はありがとうございました。お話しできてよかったです」 「俺なんかに頼るなよ。前とは違って立派な上司なんだから」  湊が少し笑い、静かに答える。 「それでも、僕にとって夏井さんは、あの頃と変わらず頼れる存在ですよ」  その言葉が心に引っかかったまま、光一は帰路についた。
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