6人が本棚に入れています
本棚に追加
03話「揺れる感情」
休日の昼下がり、光一のスマホが震えた。
画面に映し出されたのは、最近見慣れた『瀬尾湊』の名前。
「何だ? 休日に部長から連絡なんて……」
少し身構えながら電話に出ると、湊の落ち着いた声が聞こえた。
「突然すみません、夏井さん。お時間をいただけませんか? 相談したいことがありまして」
「相談? まあ、別に予定はないけど……」
「よかった、でしたら二時間後に――」
湊が指定した場所は高級感漂うレストランだった。光一はその名前を見ただけで少し引きつった表情をする。
「……なんでこんな高そうな店なんだよ。普通のファミレスとかでいいだろ」
「たまにはこういう雰囲気も良いと思いまして」
湊のあくまで真剣そうな声に押され、光一は渋々向かうことにした。
レストランに到着すると、湊がすでに席に着いていた。黒のジャケットをきっちりと着こなし、どこか大人びた雰囲気を醸し出している。
「お疲れさまです、夏井さん。どうぞお座りください」
「いや、お疲れさまって……今日は仕事じゃないんだけどな」
光一が少し皮肉を込めて言うと湊は口元に軽い笑みを浮かべた。
「でも、仕事の相談も含んでいますので」
湊の態度にどこか違和感を覚えながらも、光一は注文を済ませ、会話を続ける。
「それで、相談って何だ?」
「上司としての振る舞いについてです。まだまだ未熟で……部下たちにもっと安心感を与えられるようになりたいと思っているんですが」
湊がまじめな顔で語る。その表情に光一は自然と上司としての湊を意識していた。
「そんなに悩む必要あるか? 十分やってるだろ。若くして部長になっただけでも立派だよ」
「ありがとうございます。でも、やはり自分の至らなさを感じることが多くて……」
湊がふっと目を伏せる。その仕草を見た瞬間、光一はバイト時代の湊を思い出した。
☆ ☆ ☆
閉店後の店内、黙々と接客の練習をする湊の姿があった。
「……まだ残ってるのか? さっきタイムカード、打ってだろ。バイト代も入らないし、そろそろ帰れよ」
光一が声をかけると、湊は恥ずかしそうに頭をかいた。
「もう少しだけ。僕、皆さんの足を引っ張りたくないんです」
「いや、そこまで頑張らなくてもいいのに……。瀬尾くんさ、真面目すぎるんだよ」
その頃から湊は失敗を恐れながらも一つひとつの仕事に全力を尽くしていた。
目の前――大人になった現在の湊も、変わらず努力家だった。だが、今の湊にはあの頃とは違う余裕があるように見える。
「でもさ、今はあの頃よりずっと。……なんつーか、心にゆとりがあるだろ」
「そう見えますか? でも、夏井さんにはいつも一歩先を行かれている気がします」
さらりと口にする湊の言葉に、光一は微妙な違和感を覚えた。
「……俺はそんな大した人間じゃないよ」
「そんなことありません。僕がここまで来られたのは夏井さんのおかげ、ですから」
その真剣な眼差しに、光一は自然と視線を逸らしてしまった。
食事が進む中、湊がふとプライベートな話題を切り出した。
「夏井さん、普段はどう過ごされているんですか? 休日は誰かと出かけたり?」
「……俺に恋人がいるかどうか知りたいのか?」
光一が直球で返すと、湊は明らかに動揺しながら視線を泳がせた。
「……いえ、そういうわけでは……ただ参考までに……」
「参考?」
「あ、いえ……忘れてください」
不自然な湊の態度に、光一は思わず笑ってしまった。
「そういうところ、まだ昔のガキっぽさが抜けてないな」
「あはは……夏井さんにだけは隠しきれないのかもしれませんね」
食事を終え、店の外で別れるとき、湊がぽつりと漏らす。
「今日はありがとうございました。夏井さんとこうして過ごせる時間、すごく大切です」
「そうか……まあ、俺も悪い気はしなかったよ」
湊の視線は真っ直ぐだったがどこか寂しげで。その表情が妙に気になり、光一は思わず問いかけたくなる気持ちを抑えた。
最初のコメントを投稿しよう!