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04話「特別扱い」
朝の職場はいつもどおりの忙しさだった。
デスクに向かい仕事を片付けていた光一の耳に松本の明るい声が響く。
「部長って、なぜか夏井さんには妙に優しいですよね」
「……は?」
突然の言葉に手を止めた光一が顔を上げると、松本がニヤニヤと笑っている。
「いや、だってミスしても怒らないし、わざわざフォローまでしてくれるじゃないですか。他の人にはあんなに厳しいのに」
「……気のせいですよ。ただ、俺が年上だから気を使ってるだけだと思います」
光一は軽く流そうとしたが、松本の追撃は止まらない。
「えー、でもなんか特別扱いっぽいですよ。部長、絶対夏井さんのこと好きですよね。昔馴染みって言ってましたし」
「……っ」
苦笑いしながら話を打ち切ろうとする光一だったが、好きという言葉が頭に引っかかる。
湊が自分を特別視しているような言動が、ここ数日の記憶の中で浮かび上がってきた。
昼休み、湊が執務室から出てきて光一に声をかけた。
「夏井さん、午後の会議の資料ですが、こちらで確認済みです。一度目を通してください」
「はい、了解しました」
湊が軽く頷き、その場を去ろうとしたとき松本が一言を放つ。
「部長、ほんと夏井さんにだけ丁寧ですよね。僕たちには『自分でやれ』って言うのに」
「……気のせいです。そんなことはありません」
湊が冷静に返したが、その顔が少しだけ赤くなったのを光一は見逃さなかった。
午後、光一が会議準備中にちょっとしたミスをしたときのことだ。湊がすぐに気づき、的確な指示でフォローに入った。
「ここはこう修正すれば問題ありません。それと、次回は提出前に確認していただけると助かります」
「……すみません。自分がやるべきだったのに」
光一が申し訳なさそうに言うと、湊は淡々と首を振る。
「仕事の完成度が優先ですから。夏井さんのせいではありませんよ」
軽く笑みを溢す湊の横で、再び松本が茶化す声が聞こえてくる。
「ほら、やっぱり部長は夏井さんにだけ甘いですよ」
「そんなことない、ですって……」
光一は苦笑いしながら松本を止めるが、内心では湊の過剰なフォローに違和感を覚えていた。
その日の定時後、湊が光一を呼び止めた。
「夏井さん、少しお時間をいただけますか?」
「……はい、何でしょうか?」
会議室に入ると、湊は一瞬言葉を探すような間を置いてから話し始めた。
「今日のことですが。ミスのフォローについて、僕が出すぎた真似をしたかもしれません。申し訳ありませんでした」
「いや、別にそこまで気にしてないけど……」
光一が言いかけると、湊が視線を落としたまま続ける。
「でも、僕にとって夏井さんは、昔から特別な存在ですから」
その言葉に、光一は一瞬動きを止めた。
「……特別って、どういう意味だ?」
湊は少しだけ視線を上げ、光一の目を見つめる。
「それは……すみません、何でもないです。忘れてください」
湊が口ごもった瞬間、光一の胸の奥で何かがざわついた。だが、それ以上湊は何も言わず、ただ一礼して部屋を出ていった。
帰宅中、光一は湊の言葉を何度も思い返していた。
「特別――。瀬尾の奴、俺に対してそんなふうに思ってたのか……」
湊の真剣な表情が脳裏に浮かび、光一は思わず頭を掻く。もやもやとした感情を抱えたまま、夜の街を歩き続けた。
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