アラブの至宝 12

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 私は、仰天した…  実に、仰天した…  まさか…  まさか、リンが、こんな女とは、思わんかった…  想像も、できんかった…  このリンは、あの葉問が、言うには、噂の多い女だった…  実に、噂の多い女だった…  その噂というのは、当然、男関係…  台湾の政界や財界の愛人疑惑だったり…  あるいは、C国のスパイ疑惑だったり…  そんな噂だった…  が、  現実は、今、見た通り…  見た通り…  そんな噂がある女とは、違う…  全然、違う…  私は、思った…  思ったが、そこまで、考えて、はたと、気付いた…  いや、  全然、違うんじゃない…  これは、カードの表…  カードの表を、見ているんだ、と、気付いた…  これが、カードの表なら、当然、カードの裏がある…  それが、あのリンでは、ないかと、気付いた…  昨日、会った、あの派手な服を着たリンでは、ないかと、気付いた…  そして、おそらく、あの派手な格好をしたのは、初めて、この葉敬と会うから…  だから、いつもの派手な格好をした…  派手なチアガールの衣装を彷彿させる服を着た…  そういうことでは、ないか?  私は、気付いた…  つまり、あのときは、仕事で、この日本に葉敬と、いっしょに、来日した…  そんな意識が、強かったのでは、ないか?  そう、気付いた…  が、  今は、その意識は、捨てたというか…  なくなった…  目の前の姿を見る限り、なくなった…  が、  なぜ、なくなったか?  それが、わからない…  おそらくは、なにかが、あった…  もしや、普段、見せる、派手な姿を見せる必要が、なくなかった?  だとしたら、それは、なぜ?  それは、どうして?  私は、思った…  私は、考えた…  同時に、気付いた…  なにに、気付いたか?  リンの噂について、だ…  あの噂は、本当では、ないのか?  と、気付いたのだ…  なぜ、気付いたか?  なぜ、そう、思ったのか?  それは、リンが、チアガールは、仕事だと、言ったから…  仕事=稼ぐ方法だと、言ったからだ…  だから、恥ずかしくない…  わざと、普段している分厚い黒縁の眼鏡を外して、派手なチアガールの姿で、踊る…  眼鏡を外すことで、周囲が、見えなくなるからだ…  だから、恥ずかしくない…  周囲の人間の表情が、見えないから、恥ずかしくない…  リンは、今、そう言った…  だとしたら、どうだ?  仮に、台湾の政界や財界のお偉いさんと、関係しても、それは、仕事と、割り切ることが、できる…  あるいは、C国のスパイだと、しても、それは、仕事と割り切ることができる…  つまりは、台湾で、チアガールのするのと、同じ…  チアガールをするのも、台湾の政界や財界のお偉いさんと関係するのも、C国のスパイをするのも、仕事と割り切ることが、できるからだ…  あるいは、もしかしたら、リンは、私たちの前で、わざと、この格好をしたのかも、しれん…  わざと、ネクラなオタクの姿を見せたのかも、しれん…  なぜなら、オタクの姿を見せることで、私たちが安心するからだ…  それを、狙ったのかも、しれん…  考えれば、切りがないが、そう思った…  そう、考えた…  もしかしたら、リンは、このオタクの姿を見せることで、周囲の人間を安心させようと、思ったのかも、しれんが、この矢田の目は、ごまかせん!…  この矢田の目を、欺くことは、できん!…     私は、思った…  私は、考えた…  が、  いつまでも、考えているわけには、いかんかった…  「…さあ、行きましょう…」  と、葉敬が、言ったからだ…  私は、一瞬、どこに行くか?  忘れていた…  だから、つい、  「…行くって、どこへ?…」  と、呟いた…  「…どこへって? ディズニーランドに決まっているでしょ? …お姉さん?…」  葉敬が、驚いて、言う…  …そうだ!…  …すっかり、忘れていた!…  今日は、これから、ディズニーランドに行くんだった!…  それを、すっかり、忘れていた!…  私は、思った…  「…では、リンも戻ってきたわけだし、行きましょう…」  葉敬が、言って、全員で、ロールスロイスに乗り込んだ…  「…さあ、出発だ…」  葉敬が、嬉しそうに、言う…  私は、それを、見て、この葉敬も、嬉しいのだと、あらためて、再認識した…  バニラとマリアといっしょに、いるのが、嬉しいのだと、再認識した…  なにしろ、葉敬は、六十歳ぐらい…  それが、23歳のバニラと、3歳のマリアといっしょに、ディズニーランドに行く…  23歳と、自分の娘のような年齢の愛人と、3歳と孫のようなマリアと、いっしょに、ディズニーランドに行く…  それが、ことのほか、嬉しかったに、違いない…  あるいは、葉敬も、若いときは、違っただろう…  現に、葉敬が、息子の葉尊を見て、嬉しそうにした姿は、見たことが、ないからだ…  ただ、葉尊と、接する…  それだけに、過ぎないからだ…  葉尊を愛おしげに、見る葉敬の顔など、見たことが、なかったからだ…  それが、今は、違う…  バニラとマリアを愛おしげに、見る…  実に、嬉しそうに、見る…  決して、葉尊には、見せない顔を、このバニラとマリアの母子には、見せているからだ…  それが、違う…  決定的に違う…  私は、思った…  私は、考えた…  私が、そんなことを、考えていると、アムンゼンが、  「…矢田さん…なにを考えているんですか?…」  と、私に、聞いた…  私は、一瞬、言おうか、どうか、迷ったが、  「…いや、お義父さんが、バニラや、マリアを見る目が、実に優しいなと、思ってな…」  と、言った…  すると、  「…それは、当たり前です…」  と、アムンゼン。  「…当たり前? …どうして、当たり前なんだ?…」  「…ひとは、誰でも、歳を取れば、優しくなるものです…矢田さんも、葉尊さんとの間に、子供ができれば、葉敬さんが、きっと溺愛しますよ…」  アムンゼンが、言う…  それを、聞いた葉敬が、  「…そうですよ…お姉さん…早く、葉尊との間に、子供を作って下さい…そして、ぜひ、私に孫を抱かせて下さい…」  と、笑いながら、言う…  実に、楽しそうに、笑いながら、言う…  私は、それを、聞いて、藪蛇になったと、思った…  藪をつついて蛇を出したと、思った…  これまで、葉敬に、孫を催促されたことは、なかった…  だから、正直、子供のことなど、考えたことも、なかった…  これっぽっちもなかった(苦笑)…  ホントなら、私は、すでに、35歳と決して、若くないから、早く子供が、欲しい…  いや、  欲しいのでは、なく、客観的に見て、早く産まねば、ならん!…  そうしないと、ドンドン、歳を取ってしまうからだ…  だから、早く産まねば、ならん!…  一刻も早く、産まねば、ならん!…  が、  正直、これまで、そんなことは、考えたことが、なかった…  なかったのだ…  理由は、簡単…  私が、忙し過ぎたからだ…  葉尊と結婚して、まだ半年ちょっと…  葉尊といっしょに、暮らし出して、まだ三か月余り…  それまで、実に、色々あった(苦笑)…  いや、  色々あり過ぎた(爆笑)…  それまで、派遣やバイトや契約社員をして、暮らしてきた、この平凡な矢田トモコが、台湾の大財閥の葉敬の息子の葉尊と、結婚した…  そして、それを境に、私の運命が、大きく動き出した…  これまで、見たことも、聞いたこともない、有名人と知り合った…  そして、仲良くなった…  その最初の有名人が、あのリンダ…  ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワースだ…  リンダと知り合ったことを、手始めに、このバニラやマリアと知り合った…  そして、このアムンゼンとも、知り合った…  アラブの至宝とも、知り合った…  サウジアラビアの王族とも、知り合った…  だから、それまで、この矢田が、35年、生きてきて、見たことも、聞いたこともない、有名人たちと、知り合った…  が、  正直、それほど、偉いとは、思わん…  思わんのだ…  それは、なぜかと、言えば、皆、日本人では、ないからだろう…  例えば、パナソニックの社長ならば、あの天下のパナソニックの社長だと、思って、仰天する…  しかし、知り合った人間が、皆、日本国外のお偉いさんや、有名人では、イマイチ、ピンと来ないというか…  正直、それほど、偉いとは、思わん(笑)…  凄いとも、思わん(苦笑)…  とりわけ、このアムンゼン…  アラブの至宝が、そうだ…  サウジアラビアの王族で、父親が、前国王…  そして、実兄が、現国王という、サラブレッドの家系かも、しれんが、私に言わせれば、ただのクソ生意気なガキ…  こましゃくれた、クソ生意気なガキにしか、見えん!…  見えんのだ!…  それは、なぜかと、言えば、このアムンゼンが、サウジアラビアで、偉い姿を見たことがないからだろう…  それに、尽きる…  どんなに偉い人間でも、その人間が、偉い姿を見たことが、なければ、偉いとは、思わん…  そういうものだ(爆笑)…  例えば、歌手で、アメリカで、絶大な人気があると、いっても、その姿を見なければ、そんなに人気があるのかなと、思ってしまう…  その歌手の人気を間近に見たことが、ないからだ…  数万人は、集まったコンサート会場で、熱狂するファンの前で、歌う姿を、見たことがないからだ…  だから、実感ができない…  当たり前だ…  だから、誰も、偉く見えない…  だから、私も、自然に振る舞える…  変に相手を持ち上げたり、自分を卑下したりすることなく、自然に、振る舞える…  そして、それが、気に入られたのだろう…  私が、誰も、持ちあげたり、変に卑屈になることが、なかったからだ…  あくまで、自然体…  自然体で、皆に接するから、気に入られたのだろう…  私は、そう、思った…  そう、思ったのだ…                <続く>
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