【弐】 お嬢様は下僕薬師に恋をする

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【弐】 お嬢様は下僕薬師に恋をする

(えん)さまっ」  笹丸と私は急ぎ足で母屋に入った。  そこには両親と円姉さまと思われる女性が鎮座していた。後ろ姿ではあるが、朱色の美しい唐衣の上を艶めく黒髪が流れる姿は雅であった。しかしその姿はずいぶんと丸っとしてた。両親は目じりと眉をこれでもかと下げて嘆き悲しんでいた。 「結婚してまだ二年しか経っておらぬのに、子が成せないと決めつけ離縁するなど鬼の所業じゃあ」  張りのない父上の頬に涙が滲むように流れた。 「あの家はあなたたちの結婚をよく思っていなかったから、体のいい言い訳で仲成(なかしげ)さまとの仲を引き裂いたのよ。ああ円。辛かったわね……」  母上は円姉さまのぷっくり色白の手を両手で握りしめて慰めた。 「父上、母上。心配させてしまい申し訳ございません。しかし私は傷ついてなどおりません。むしろ面倒で窮屈な貴族の生活をこれで卒業できたこと、心が弾むほど嬉しゅう思うているのです」  ゆっくりまったりとした話し方は円姉さんのお人柄なのだろう。 「円ったら。そんなわけないじゃないの。あんなに仲がよかった仲成さまと別れさせられたのですよ?」 「そうじゃ、わしらの前ではもっと素直に気持ちを吐き出していいのだよ」  そう言って両親は懸命に姉を気遣った。 「仲成さまにはよくしていただいたわ。それでも余りある貴族の悪習慣は私の身を破綻させる直前でした。お参りに行っても方違いと延々に右回りで歩かされたり、陰陽師が日が悪いと言えば目の前に出された肉を取り上げられ……。私が幻滅する出来事をあげたら枚挙にいとまがありませんわ」  親を気遣う姉と出戻った我が子を慰める両親。それは理解できるのだが、私はどうしても解せなかった。みんなはなぜそっちは心配にならないのかと。  笹丸は円姉さんの隣で片膝つくと丁寧に頭を下げた。 「円さまっ。お元気なお顔を拝見でき安心しましたが、お戻りになられるとは……」  笹丸が眉を寄せて悲痛な表情で円姉さんを見つめた。その時、円姉さんの横顔が露わになった。真っ白いぽよんとした頬の肉で顎のラインが行方不明だった。いかにも食べることが好きそうな幸せそうな贅肉だ。 (円姉さんが離縁された理由って……)  一人声を出せずにいた私の後方から、勢いのあるリンが声が響いた。 「円さま! ご要望の炊き立ての白飯ですよ! さあ、心行くまでお召し上がりくださいませ」  先ほどの動揺を完全に吹っ切ったリンが、茶碗山盛りの白米をお膳に乗せて運んできた。その白米をみた円姉さんは母上が握る手から素早く脱出し、白飯に向かって両腕を伸ばした。 「これが楽しみだったのよ! あちらではいつも硬い米ばかりで物足りないったらありゃしない。炊き立てのいい匂い。いっただきまーす」  円姉さんはひょいっとお椀を奪うと、箸を宙に浮かせてから勢いよく白米に突入した。大きな口に六回ほど詰め込むと、ぎゅうぎゅうになった頬がさらに膨らんだ。 「炊き立て白米サイコーだわ!」  皆はその食べっぷりを満足げに見ていた。初見の私は目を丸くしてしまったが、どうやらこれが円姉さんの通常モードらしい。そう、円姉さんは食べることが大好きなふくよかな女性であった。 「あら、恵! 最近はずいぶんと大人しくなったとか。なんだか顔つきも穏やかになってきたわね」  ここでようやく私は円姉さんを正面から眺めることができた。円姉さんは満月のようなお顔に美しいアーチの太い眉、笑ったときに消える三日月の目と豪快な大きな口。なんとも愛嬌のあるお顔だった。それはとても温かかく幸福に満ちていて、自然とそばに近づきたくなる微笑み。 「は、はい。一五になりましたので家族には迷惑をかけないと兄と約束しました」  私は声をかけてもらって少し照れてしまう。 「もう立派な大人ね。恵もたくさん食べて女性らしい身体を手に入れないとね。リン、恵にも白米をお願いね。それと私はおかわりよ!」 「みなで夕餉を囲もう。悲しみで暗くなるより、美味しいものを食べて気分をあげようじゃないか。リンよ。今日は豪華なおかずとどんどん作っておくれ」  落ち込んでいたはずの父上がそう言った。多分、円姉さんの明るさに感化されたのだろう。その人がいるだけで周りの雰囲気が華やかになる。円姉さんは向日葵のようなお人だった。
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