少年に囚われた吸血鬼

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「今年こそ、紫目(しめ)の吸血鬼を見つけ出すっ! おー!」  紫目の吸血鬼。もとい人攫い。それは、俺が捕まえなきゃいけない相手だ。毎年ハロウィンのお祭りがやっている三日の内に現れて、この街から子どもたちを拐い、目撃情報だけを残して消える吸血鬼。大好きな街のみんなが困ってるんだから、助けたい。これ以上、大事な友達を連れ去られて堪るか! 「ラウロ! 張り切るのはいいけど、飲み物は持った? お財布は? ああ、もう。綺麗な金髪が乱れてるわよ? ルビーの目は曇ってない? まだお祭りも初日なんだから。ハロウィンまでの体力、ちゃんと残しておいてね」 「あっはは! ありがとう、母さん! 今日の朝ごはん、牛肉の生姜焼き大盛り定食も美味しかった! いつもありがとう! かぼちゃクッキーもみんなで食べるね、行ってきまーす!」  靴を履いて荷物が入った鞄を肩から下げる。駆け足で家を飛び出せば、ハロウィン一色に染まった街中をぐるりと見回して、背筋が震えた。口角も、ぐっと持ち上がる。 「う〜! やっぱりハロウィン最高〜! 今年も、紫目の吸血鬼探しと、あと」  その場に立ち止まって、ぎゅっと拳を握りしめる。思い出すのは、少しだけ昔のこと。俺の、誰にも話してない初恋の記憶。 「……俺を助けてくれた人にも、会えるといいな」 ○  十月二十九日、ハロウィン祭り一日目。いつもなら紫目の吸血鬼が現れるのは祭りの三日目、ハロウィン当日なのに。今年はもう、たった今子どもが一人いなくなったと街のみんなが騒いでいた。  紫目の吸血鬼を許しちゃいけない。街のみんなが大好きな俺としても。同族、としても。  俺のおじいちゃんは吸血鬼だ。だから、少し血が混ざってるから、吸血鬼がいれば匂いで分かる。それなのに。 「匂った人の中に、紫目の吸血鬼も、怪しい人もいないんだよなぁ……」 「ラウロ、急に立ち止まってどうしたの? あっちだって。早く行こう!」 「あ、うん!」  高校の同級生たちと街中を走り回って、人だかりができているところまで突っ込んで……行こうとした途端。ふと、時が止まったような感覚に陥った。たまたま俺の横を通り過ぎた長身のローブ。いや、ローブを身につけた背の高い人。  靴の裏にブレーキがついていたかのように勢いを殺して立ち止まって、振り返る。 「あの!」  手を伸ばせばローブの袖口が掴めて、長身の人が立ち止まった。今は昼間だから分かんないけど、きっと、夜の闇よりも暗く深い真っ黒なローブ。ゆったりとした動作で振り返ったその人と目が合うことはなく、ペストマスクみたいな妙な仮面と目が合った。 「……おれに何か用かな?」  落とされたのは柔らかく、聞き心地の良い低音ボイス。  振り返り、首を傾げる動きに合わせて揺れたアクセサリー。首から下げられる、大きなネックレスみたいな銀の輪っかが印象的だった。  そして、まだ俺が片手で歳を数えられた頃の記憶と一致する服装に大きく頷く。 「やっぱり! あのときの!」  闇より深い色のローブ。見たこともない大きなネックレス。目深に被ったフードから覗く綺麗な銀色の髪。 「俺、十年前くらい! 昔迷子になってたところをあなたに助けてもらったんです! あれからずっとお礼が言いたくて、その……?」  多分、五歳とかそのくらいの頃。ハロウィン祭りではしゃいだ俺は両親とはぐれて、大泣きしていたところをこの人に助けてもらった。全く同じ格好をしたこの人に。  ずっとお礼できてなかったのが気がかりで、いつしか俺にとってハロウィンの醍醐味にこの人と紫目の吸血鬼を探すことが加わっていた。  見上げてぐいぐい近づいていたら、ふと足元からくしゃみの音が聞こえてきて。目をやれば目の前の人と手を繋ぐ、小さな男の子が不思議そうに俺を見上げていた。 「あっ、ショーくん!」 「ラウにーちゃん!」 「……君、この子のこと知ってるの?」 「え? あ、はい! 俺の通う高校と近い保育園に行ってる子で。よく面倒見てるんです」 「ふぅん」 「えっと」  なんだか、少し喋りにくい。独特な間の取り方というか……。けど。それよりも、それよりも、だ。  なんか、すっごい、いい匂いする。  多分ハーブとかなんかそういうやつ。そういえば、俺も迷子になったときこの匂いで落ち着いたんだっけ。 「……さっき、向こうで泣いているこの子を拾ったんだよ。持ちぬ……親を探していたところでね」  やっぱり、この人は優しいなぁ。俺もこうして手を繋いでもらったっけ。仮面で表情は分からないけど、微笑んでるような柔らかい雰囲気に思わず胸が高鳴った。 「俺も手伝いますよ! ショーくんのお母さん、何回か話したことあるんです!」 「そう、ありがとう」 「っ……! はい!」 ○ 「ローブのお兄さん、ラウにーちゃん、ありがとー!」 「うん、またねー!」  あれから数分と経たずに、ヒール片手に素足で全力疾走してきたショーくんママの元に、ショーくんは帰って行った。 「……君、本当に街のみんなに好かれてるね」 「え、えっへへ、そうですかね、そうだと嬉しいです」  優しい言葉に照れくさくなって頬を掻く。 「君は、どうしてここに?」 「え? あ、そうだ! 俺、紫目の吸血鬼を探してたんです! でもいなくなった子どもってショーくんのことですよね、ほんと、ショーくん見つかって良かった。紫目の吸血鬼はやっぱり今日はこないかな」 「……紫目の、吸血鬼」 「そうです! 理不尽に誰かを拐うなんて許せないですよ! 卑怯だ!」 「ラウロは、紫目の吸血鬼のこと嫌いなんだね」 「そりゃそうです! 俺の友達も、いなくなって」 「……そっか。それは、つらかったね」  ゆったりとした口調で返ってくるのはお布団とか、お風呂みたいに温かくて傷を癒してくれるような言葉。やっぱり、この人は優しい。  うあー。だめだな、なんでだろう、やっぱり好きだ。助けてもらった憧れとか、勘違いとか、同性なのに、とか、色々考えたけど。理由なんか分かんないけど、この人のこと見てるとドキドキする。街のみんなは大好きだけど、そういうのとは違うやつ。  ん? あれ。そういえば俺、この人に名前教えたっけ? 「あの、なんで名前——」 「ノアだよ」 「え?」 「おれの名前。知りたそうな顔してたから」 「マジですか⁈ うわ、恥ずかし!」  ノア、ノアさん。新しく頭の中に増えた単語。綺麗な響きに気持ちが昂ぶった。 「ノアさん! 俺、ノアさんと一緒にお祭り回りたいです! 案内しますよ!」  言った後に、そういえばおれが子どもだった頃もノアさんって今くらい身長あったよな、てことは大人、もしかしたらお祭りも毎年来てるのかもしれない。それなら知識は豊富? なんて思い当たったけど、言った後だから仕方ない。 「ほんと? おれ、一人で人混みの中に行くの苦手だから嬉しいよ。エスコート、よろしくね」  真っ黒なローブから覗いたノアさんの白くて細い手がゆっくりと持ち上がって、ペストマスクに似た仮面に触れる。少しだけ上にずらされた仮面。異様な肌の白さからどこか人間離れした儚さを感じていたけど、弧を描いた、ちゃんと色差しのある薄い唇が見えて、思わず顔が熱くなった。 「ラウロ。手、繋いであげよっか」 「ゔぇっ⁈」  突然の提案に背筋が伸びて、思わずほんの僅かに跳び上がってしまう。 「昔みたいに。また、迷子になったら大変でしょ?」  返された言葉に「だ〜!」と思い切り息を吐く。頭に浮かんだのは「子ども扱い」の字。 「俺! もう迷子になるような歳じゃないです! 街中の大通りから近道まで頭に入ってますもん!」 「ふふ、そっか」  目を逸らした隙に仮面は元の位置に戻っていて、口元も隠されていた。少し残念……な、んて思ってない! 思ってない……。  雰囲気が柔らかくなったような、なんか違和感は感じるけど、俺が一番好きなハロウィンのお祭りを初、初恋の人と回れるのは嬉しくて。  うわー! 初恋だって、うわ、俺らしくない! めっちゃ恥ずい!  てかノアさん身長高くない? 俺より三十センチくらい高い気がするんだけど。俺一六〇あったよね?  だー! カッコよくほら、腰とか引き寄せてさ、エスコートできたらイケメンなのに!  俺チビじゃん。チビじゃんか! ノアさんのほうが余裕あるし大人って感じだし……。  と、とにかく。やっとノアさんに再会できたんだ! 紫目の吸血鬼からノアさんも、街のみんなも守り抜けたらオールオッケー!  あれ。俺、手繋いでもらえる機会逃したんじゃ……? ○  そっちょくに、申し上げると。  ノアさんのエスコート力がイケメンのさらに上行ってました。いや、エスコートっていうよりも保護者……?  人混みに揉まれて潰れた俺を救出してくれたり、露店で二人分のお菓子を買ってくれたり、二つを合わせると一つの絵ができるネックレスを買ってくれたり、結局はぐれないように手を繋いでくれたり。  どうやって食べるのかなって見てたら、焦らすように仮面をずらすからなんだかいけないものを見ているようで。多分、りんご飴みたいに顔を赤くしてたと思う。あのときの汗の量おかしかったし。  成り行きで二日目も三日目も一緒に過ごして、今。 『ノアさん! 俺、ノアさんのこと好——』  絶対、やらかした。多分、言っちゃだめだった。  すっかり日が落ちたハロウィン当日。裏路地付近にはノアさんの下敷きになって倒れてる俺と、俺の腹の上に乗っかるノアさん以外誰もいなくて。ノアさんの大きくて薄い手に口元を覆われて、ノアさんの切羽詰まった呼吸音だけがやけにうるさく響いていた。 「言っちゃ、ダメだよ。ごめんね、ごめん。おれ、ずっと言えなくて。ずっと、騙してて」  ハロウィンの色、オレンジ色に染まる街が建物と建物の間から見える。それらの光を背に、ノアさんは震える細い手を持ち上げて、何分もかかって仮面を外した。 「おれは、君が思ってるような存在じゃない。黙ってて、ごめん。一緒に過ごさせて、ごめんね」 「え……」  見上げる先、逆光でも煌めくのは。アメジストみたいな、潤んだ紫色の双眸。くしゃりと顔を歪めて、吸い込まれるような紫色から溢れるのは無色透明な雫たちで、しゃくりをあげる度に、口が薄く開かれる度に覗くのは鋭い、牙。 「なん、で……」 「ごめんなさい。君の友達も、他の人も。拐ったの、みんなおれだ」  息が、止まったかと思った。心臓が嫌に脈打って、瞬きの仕方も、呼吸の仕方も忘れたみたい。 「でも、匂い、しない。ノアさんからは、吸血鬼の……」 「そっか、ラウロ、分かるんだ。おれ、出来損ないだから。人間の血がね、飲めないの」  人間の血が飲めない吸血鬼……?  でも、それなら余計に。血が必要ないなら、吸血鬼が人間を襲う理由なんてないのに。 「血、いらないの?」 「……飲めない」 「じゃあなんで」 「……」 「俺の友達は? みんなは? 拐って、どうしたの」 「…………」 「必要ないなら、だったら、なんで。ノアさん、ショーくんにも、今日だって他の子にも楽しそうに接してたのに! 笑ってくれたのに、俺といたときだって、なんで!」  訳分かんなくなって、ただ痛くて、苦しくて、気づいたら顔も見ずに俺の上にいたノアさんの胸ぐらを掴んで怒鳴りつけていた。 「っ……そん、なの。おれだって、こんなことしたくないよ……!」  ぽた、ぽた、と垂れてくる粒に赤色が混じり始めて、俯いていた顔を上げる。 「……ラウロ、ごめん。傷つけることしか、できなくて」  吸血鬼の両目から静かに流される涙。下唇に開いた二つの穴から流れ出す血。  初恋のひとで、ずっと憎んでいた吸血鬼。 「……なんで、正体教えてくれたの」  逃げれば良かったはずなのに。俺が紫目の吸血鬼を探してるって言ったあの後に。それか、吸血鬼なら俺くらいいつでも殺せたはず。 「教えてください」 「……君に、笑ってもらえたのが嬉しくて」 「はい?」 「子どもの君は、初めておれに優しくしてくれたひとだったから。嬉しくて、守りたくて、こっそり見てたら、いつの間にか君を好きになってしまって。君にだけは、死んでほしくなくて。おれが他の吸血鬼に人間を渡せば、君が選ばれることは、ない、から。ちが、言わない、つもりだった。のに。ごめん、なさい……」 「……」  血も涙も流して謝る吸血鬼を見て、失笑が漏れた。そして、思い切り奥歯を噛み締めた。  俺も、同じだ。  大切な人を守りたくて、でも、無力だから失って。原因の解決にもならないのに、その場しのぎで罪を重ねそうになって。実際、罪を重ねてしまったのがノアさんで。  そして、恋って呪いみたいだ。 「俺、それ聞いてもやっぱりノアさんのこと、嫌いになれないや……」  へらりと笑みが溢れる。  こんなのおかしい。ずっと憎んでたのに。いざ紫目の吸血鬼がノアさんだって分かったら、受け止めてしまいたくて、仕方ない。 「ノアさん、ごめんなさい。俺たち多分、間違えてた。必死になって、周り見えなくなってた。俺が一番敵対視するべきのはノアさんじゃなかった。やり直して、みませんか! 俺、ノアさんのことずっと好きでした! まだ、一緒にいたいです。ハロウィンが終わって、仮装も、仮面も、飾りがなくなっても」 「……おれのこと、許さないでくれる?」 「もちろん。でも、全力で受け止めます!」 「ふふ、そっかぁ……。ラウロは、昔も今も、優しいね」 ○ 「ノアさーん! そっちどうですかー⁈」 「うん、大丈夫。準備できたよ」  ハロウィン祭りが始まる前日の夕暮れ時。ちょうど去年、お互いぼろっぼろに泣きながら告白して、手を取り合って、早くも一年が過ぎて。  一年の間にノアさんについて色々知れた。たとえば、ノアさんは人間の血が飲めない代わりに、月に一度は同族の血を飲まないといけないこととか。他の吸血鬼に俺を人質に脅されて、人攫いをしていたこととか。あ、年齢について聞いたら思いっきり拗ねられたからまだ分かんないけど……。  血のほうは俺に吸血鬼の血が混じってるから問題クリアで、他の吸血鬼の問題は対吸血鬼用の仕掛けをあちこちに張り巡らせることで対策してみた。  枷が外れたノアさんは活き活きとしていて、仮面に隠されていない笑顔は無邪気で愛らしい。ローブに隠されていた星の輝きみたいな銀髪も、この街ではお目にかかれない紫色の綺麗な目も。全部が揃って、ノアさんだ、ノアさんっていいな、って一人でにまにまするのも日課になりつつある。 「ノアさん、俺、ノアさんのこと大好きです!」 「ふふ、知ってる」  大きな声で伝えれば柔らかい声が返ってきて、その後。小さな声で「おれも」と返される心の心地よさを、ハロウィンのお菓子より甘い言葉を、俺は知ってしまった。
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