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そう言うと瀬尾は汚れたコートとは対照的に真っ白な手袋を嵌めて、机の上の包みに恭しく手を懸けた。
自らの人生を狂わされた憎しみと、それ以上の……憧れのような執着のような感情がその瞳に在る。
私は徐々に解かれてゆくその包みから目を離すことが出来ないまま小さく呟いた。
「ではこれは……」
「ああ、正真正銘『パリの夕景』の真作だ」
わかっている、理解はしているのだ。
もしもS美術館にある『パリの夕景』が瀬尾の言う通り贋作であるならば、私の目が否定された事になり、美術館としても贋作を掴まされたという大醜聞となる。
しかし美術を愛するものとして、あの作品の真作というものがあるならば見てみたいという欲求は抑えきれない。
贋作であれほど素晴らしい作品だと言うなら、真作はどれほどの出来なのだろう。
否応なしに高鳴る胸には、未知のものを見る少年のような好奇心と、自らの功績を否定されるのではないかという不安が入り混じる。
じりじりと焦れる心と、滲む汗、対照的に乾いてゆく喉を唾液を飲み込んでやり過ごす。
目を離さないままで、胸ポケットから白手袋を取り出した。
「俺も間もなく死ぬだろう。もう身体の自由がロクに利かねえ。だからあんたにこれを真作として発表して貰いてえんだ。そしたら俺は天才贋作者として世の中に生きた証を残すことが出来る。さあ、見てくれ。これが真作だ!」
最後の包みであるクラフトマスカーからテープが外される。
私は白手袋を嵌め、瀬尾が開いた絵を息を詰めて覗き込んだ。
あの絵が美術館に来てから毎日朝晩見続けたのだ、見間違う筈がない。
馴染みのある色合い、特徴的な筆のさばき、右下のサイン……全てが同じに見える。
矯めつ眇めつして、見れば見るほど同一である事を認めざることを得ない。
しかしそこには明確にして絶対的なひとつの差があった。
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