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お母さんがトーストとミルクを机に置いてから、目の前のイスに座る。
どんな空気でも一緒にご飯を食べるのが、家族の普通。
それがお母さんの意見だった。
お父さんは仕事で不在なことが多かったけど。
でも、それは仕事という理由があるから特別なんだって言っていた。
テーブルの上には、三人分の食器が並べられている。
まるで、それが当たり前の家族みたいに。
今日もありふれた家族のフリをして、やり過ごす。
「お父さんはもう、先に出たから気をつけて行くんだよ」
「うん、お母さん今日も朝ごはんありがとう」
「いえいえ」
トーストを一口かじってから、ジャムを手に取れば空気が豹変した。
あぁ、まだ、悪い夢の中だったみたいだ。
「お母さんが焼いたトーストじゃ、おいしくないのね」
「違うよ! ジャムを付けたらもっとおいしいかな、って」
お母さんの曇った表情に言い訳を考えて、お母さんが納得するように細心の注意を払って言葉にする。
それでも、お母さんの気は晴れはしないようだった。
わざとらしくガタンと大きな音を立ててお母さんがイスから立ち上がる。
ごめんなさいと、思いつく限りの謝罪を並べ立てた。
でも、伝わらない。
「ごめんなさい、お母さんがせっかく作ってくれたのに」
「いいのよ、私が悪いんだもんね、少し寝るわ」
その言葉を最後に、お母さんはいつも部屋にこもってしまう。
憂鬱な気持ちと、生まれてこなければ良かったと言われないだけマシかと、胸を落ち着かせる。
あの言葉は、私の体を中心からバラバラに崩れ落としてしまうから。
気にしないふりをしてかじったトーストの味は、よくわからない。
自分の使ったお皿と、お母さんのマグカップをキレイに洗う。
一口だけ飲んで放置された、茶渋の残るマグカップ。
悲しさが湧き上がってきて、茶渋をゴシゴシとスポンジでこそげ取る。
シンク横の水切りマットに全て乗せて、キッチンを出た。
部屋に閉じこもったお母さんに、扉越しに声をかける。
「洗い物しておいたよ」
シーンと静寂だけが数秒流れて、諦めたの。
返事がないのはいつものこと。
学校へ行く準備をして、リュックを背負う。
着なれた制服は、それでもまだ窮屈に感じてしまった。
もう一度、閉じこもったままの母の部屋に声を掛ける。
「いってきます」
「いってらっしゃい」はいつから聞いていないか、もう数えるのもやめた。
おかえりの回数も数えていない。
家族どころが、人間は普通あいさつをするもんだとお母さんに習った。
あいさつを私に返してくれないのは、私は家族、ましてや人間ですらないと思われてるのかもしれない。
はぁっと大きく出そうになったため息を両手で、喉の奥に押し込んで家を出る。
私は喉から手が出るくらい「いってらっしゃい」と「おかえり」を欲している自分に気づいていた。
でも、それすらも胸の奥の深いところに押し込めて気づかないふりをする。
だって、欲したところで手に入らないなら、気づかない方が幸せだと思ったから。
人と関わるのをやめたのも、回数を数えるのをやめた辺りかもしれない。
だって、私は人を不快にしてしまう人間だから。
家の外に出れば、春の太陽は光を突き刺す。
わざと太陽から目を背けて下を向いたまま、歩き続けた。
朝の通学路は、楽しそうにあいさつを交わし合う子たちで賑わっていて、肩身が狭い気がしてしまう。
寂しい気持ちと、これでいいんだ、っていう清々しい気持ちで胸の中はぐちゃぐちゃだ。
近くから聞こえたクラスメイトの声に、つい、「おはよう」と言いそうになって、顔をあげた。
ぎゅっと唇を閉じた、無音のあいさつだったのに、彼が振り返る。
「あ……」
ため息みたいな言葉だけ漏れて、視線がぶつかる。
彼はニコッと人懐っこい笑顔を見せてから、何も言わずに前を向いてしまう。
彼にあいさつできて、仲良くなれたらどれだけ幸せなんだろうか。
私の初恋は、拗らせに拗らせ、今ではただ盗み見るだけのストーカーのようになってしまっている。
でも、それでいいんだ。
関われば、不幸にしてしまうから。
私は、クラスメイトに疫病神と陰で呼ばれているのを知っていた。
周りを見ないように、気づかれないようにと、また下を向いて歩く。
小さい花が隅っこの方で咲いていたり、誰かがこぼした水で濡れていたり、地面はいつも少しずつ違っていた。
学校に向かう交差点の角のあの黄色の花は、いつも咲いているけど。
黄色の花を目印に曲がろうと体を傾ければ、ぽすん、っと頭が何かに触れる。
すぐに、失敗したに気づいた。
いつもだったら、もっと左に寄っていたはずなのに、今日は右寄りに歩いていたらしい。
先ほど、あいさつをしかけた彼が私の顔を見下ろしていた。
「おはよう、唯野さん」
「おはよう、天成くん」
目線を合わせずに、あいさつを返す。
これ以上話が続きませんように、と願いながら。
「唯野さんもいつも、この時間?」
私の願いは虚しく、天成くんはいつものように優しく私の隣に並ぶ。
一緒に行くことが決まってるかのように、当たり前のように。
天成くんは、みんなと違って、疫病神とは私を呼ばない唯一の人。
だから、好きだった。
初恋なのに、私は臆病で、天成くんの顔を見れない。
だって見たら好きになってしまう。
天成くんを、不幸にしてしまう。
「唯野さんは、どうして顔を見ないの?」
投げられた疑問にうまく答えられない。
だって、私は変わらず普通じゃない疫病神。
あなたを不幸にしてしまうから、と言えれば、楽なのかもしれない。
見慣れた顔だって、何回見ても私は恋に落ちてしまう。
八重歯とか、困ったように下がる眉毛とか、あと、唇の横の小さいホクロとかに。
だから、天成くんの顔を見ないように地面と向き合う。
道端の黄色い花がもう枯れそうだとか、そういえば数か月前から咲いていたな、と考えながら。
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