小指に今も残ってる

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「大きくなったら結婚しようか」  遠足でやってきた場所は、ちょうどシロツメグサが咲き誇っていて、どれだけ千切って花輪にしてもなくならないほどに、花が咲いていた。  私は一生懸命花輪をつくり、それを頭に載せて悦に入っていたら、夕哉くんが指輪をつくってそれを私の小指に入れたのだ。  結婚の約束をするなら左薬指だとか、叶わない約束をするのは残酷だとか、彼はそんなことを知らなかった。  ただ、私はその約束にすがっている。  思い出だけは、誰にも奪えない私だけの宝物だから。 **** 「なにこの紅葉跡!」  教室の真ん中でドッと笑い声が響いた。  そこでぶうたれている夕哉くんは、モデルのようにヒョロリと身長が伸び、雑誌モデルのように端正な顔立ちに成長していた。元々快活な子だったから、皆が皆、彼に話しかけられるとついつい乗ってしまい、最終的に彼のペースに飲まれて溺れてしまう。  高校に入ってから、夕哉くんはとにかくモテるようになり、ひっきりなしに女の子と歩いているのが目に入るようになった。 「他の子と歩いてるのを見られたら、『浮気者』って引っぱたかれた」 「そりゃそうだろ!」 「浮気者って……浮気者って……」  夕哉くんが女の子と続いたのはひと月ない。それに私はほっとしているし、また勝手に傷付いている。 「すごいねえ、西埜くんのモテっぷり。あんなのマンガでしか見たことないよ」  呆れたように真昼ちゃんが笑うのに、私は曖昧に頷いた。 「あんなにマンガみたいな子じゃなかったんだけど、気付いたらああなってたの。遠くに行っちゃったなあと思う」 「そう?」 「うん」  同じマンションに住んでいるから、近所付き合いは途切れない。自転車置き場に行ったら嫌でも顔を合わせるから、互いの事情をなんとなくは把握している。  私が図書館で、規定冊数の倍、裏技を使って借りて読んでいるとか、互いの今の流行りの音楽やマンガ、ドラマとか。どちらもSNSは苦手で、アカウントは持っていても全然動かしてないとか。  でも、互いが今なにをどう思っているかなんて、中学生になってからその手の会話を全くしなくなったから、どう思っているのかなんて知らない。 「なんであんなにキラキラしちゃったのか、私も全然知らないよ」 「ふうん。大変だねえ。モテる幼馴染なんてさ」 「そうだね」  私は大きく溜息をついた。 ****  教室はいつだって騒がしいのに、どこかよそよそしい。  その点図書館は司書さんが目を光らせているおかげで、大きな机に教科書と参考書を並べて勉強している子か、本当に本を読みに来ている子しかいないから、どこか温かい。  私はインクと古紙の匂いに包まれながら、図書委員の名の下に返却処理を済ませたあとに、自分の本を読むのが好きだった。電子書籍を買おうにもスマホ決済で買うと親になにを買ったのか聞かれるし、自分の趣味が筒抜けになるから嫌だった。結局は図書館で自分の好きな本を借りるのが一番いい。  好きなのはひと昔前の恋愛小説で、もう背景が時代がかり過ぎて、現実感が全然ないのがよかった。最近の話だったら、人間関係とかいろんなものに気を遣い過ぎて、恋愛だけに浸れない。それらをじっくりと読むのが好きだからこそ、人にとやかく言われたくなかった。 「それ借りる?」  司書さんに尋ねられて、私は考え込んだ。見られたら嫌だなあ。そう思ったら手を出せず、「返却してから帰りますね」と挨拶して、私は帰っていった。  私が駐輪場で自転車を取りに行ったら、「おっ」と声を上げられた。そこに夕哉くんがいたのだ。 「こんにちは」  私は挨拶を済ませて通り過ぎようとしたら、「朝はさあ」と声をかけられた。  夕哉くんの人間関係を思い返す。今彼が付き合っている子がいるなら、その子に見つかっていらんやっかみを受けたくない。もし付き合ってなくても候補がいるなら、やっぱりその子に見つかりたくない。私の腰は引けて、保身に走ろうとしているのを、夕哉くんは呆れた顔で「こら逃げるな」と言ってきた。 「最近なんで逃げるんだよ」 「……私、夕哉くんのファンに殺されたくないもん」 「はあ? なんで」 「そういうのを、無神経って言うんだよ」  私は言い含めるように伝えると、途端に夕哉くんはぶうたれた顔をする。  勝手だなあと溜息が出た。彼は世界が自分の思い通りになるって本気で思っている。思い通りにならないことのほうが多いって、知らない顔をするんだからさ。 「朝が逃げたら意味ないだろ」 「なんで」 「なんか気付いたら朝がものすごい勢いで逃げるようになったし。俺、なんもしてないのに」 「付き合っている子に悪いもの。私、付き合っている人には近付かないの」 「俺、フラれたばっかりで、今誰とも付き合ってねえけど」 「候補はいくらでもいるでしょ」  私の会話はひたすら逃げ腰なのに、久々に会話が続いているなあと馬鹿なことを思った。最近は業務連絡と挨拶以外、特に会話が続かなかった。そもそも私がすぐ逃げるし、夕哉くんがすぐ不機嫌になって黙るから、会話はそこで打ち切られたんだ。  今日はなんでこうも夕哉くんは粘るんだろう。私は自転車の鍵を自分の自転車に差し込もうとしたら、鍵をヒョイッと持って行かれてしまった。夕哉くんが高く持ち上げてしまったら、私がジャンプしても届かない。 「返して!」 「だから話を聞けってば。そもそも朝はなんで逃げるの」 「悪いもの!」 「だってさ、俺は朝と結婚するんだろ?」  いきなり投げ込まれた言葉に、私の喉は「ヒュンッ」と鳴った。 「……なんの話?」 「覚えてねえのか……俺だけかよ。あれ覚えてるの」  そんなこと言われても。私はだんだん顔が熱を持っていくのを感じていた。 「私たち高校生だよ。もうそんな子供だましみたいなこと……」 「そりゃあれはあのときの俺の精一杯だよ」 「でも他の子と付き合ってた」 「それ、お前が怒るところ? 俺は朝のとこ行きたくってもいなかったから、俺を好きって言ってくれた子と付き合っただけだけど」 「それ、告白してくれた子に失礼だよね?」 「だって俺、こんなんじゃん。最初っから朝しか見てないのに、それでもいいから付き合ってって言われたら、それ付き合わないか?」  クズの極みじゃないのか。それは。  他に好きな子がいても付き合ってなんていうのは、いつかは振り向かせるからよろしくという意味で、それができなくって腹立って別れたんだろう……まあ、殴るのはよくないとは思うけど、それ以外は全面的に夕哉くんが悪い。  そして私は、夕哉くんのクズの言い訳にされてないか。 「ヤダ」 「なんで!?」 「なんというか、夕哉くんの日頃の行いの言い訳に使われ続けるの嫌だ。行い改めてから、やり直してください」 「ええっ!? これ俺が悪いの!?」 「私が逃げていた以外の夕哉くんの悪行は、夕哉くんが悪いと思います! 鍵返して!」  私がなおもピョンピョン飛んでも、夕哉くんが自転車の鍵を返してくれず、「うーんうーん」と考え込む素振りをした。 「じゃあ、俺の行動が改まったら結婚してくれんだな?」 「はあ?」  私は思わず声を荒げた。  この人、今までの行動を悪いと思ってないのに、どうやって改めるというのか。 「だってさ、俺の行動がちっとも朝に伝わってないのが問題なんだろう? なら朝を四六時中口説き続ければ、もう他に行かないし」 「……今までできてなかったことをどうしてできると思ってるの?」 「できるだろ。だって朝が逃げなかったらいいんだし」  本当になにを言い出すんだ。  私はやっと届いた鍵を引っ張って落とすと、それを拾って自転車に差し込んだ。  逃げよう。自転車に跨がって必死に逃げ出そうとするのに、夕哉くんが声を上げた。 「朝!」  無視して逃げようとしたら、追い打ちをかけてきた。 「結婚しよう!」  ……小さい頃の思い出を穢されたような、恥ずかしい思いがした。  私にとって、ずっと後生大事に思い返していた思い出だ。それが夕哉くんによってグシャングシャンに壊された。これじゃ怪獣映画だ。  涙が出てきた。  なんで夕哉くんがあの日のことを覚えているのにひどいことをするんだろう。どうして態度を改めてくれないんだろう。  彼にとってはきっかけだったとしても、私にとっては大切なものだったのに。 <了>
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