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真っ白なとろとろのシャツを着て、真っ白なサラサラのズボンをはいた人が、立っていた。
大きな木の下に立っていた。
僕は通るたび彼を見ていた。
向こうの道路と、こっちの道路の間の、植樹帯にその大きな木はある。
あんな木、前からあったかな……
その人は、真っ白で、サラサラで、とろとろで、スベスベで、細い銀縁の眼鏡が似合う。レンズの奥の瞳は、ビー玉みたいにつるつるだった。
大きな木をじっと見上げて、僕が近くを通るときだけ軽く会釈をする。
大きな木に蕾がついた頃だった。
「モクレン、です」
目が合った。
「モクレン?」
「はい。ハクモクレン、といいます」
さらさらの、気持ちのいい声は、僕の中に染み込んだ。
蕾はふっくらとして、フワフワのうぶ毛のようなもので包まれている。手のひらにすっぽりとおさまるくらいで、筆の先みたいな形のそれは、上向きにツンと立っていた。
日に日に大きくなり、割れ目から白いものが徐々に見え始めた。
中から、ぐ、ぐ、ぐ、と生まれてくる白くしっとりとしたものは、まるでその人みたいで、僕は毎日、キリキリと指を噛む。
「そろそろ、咲きそうですよ」
ふわりと彼が言った。
「咲いたら、どんなでしょうか」
僕の問いかけにその人は、さあ、と答えた。
そしていつも「また、明日」と微笑む。
それから十日ほどして、すべてが開花した。花が開く最後の数日は、白い鳥がゆっくりと羽を広げていくようで、僕は悲しくて悲しくて、涙を流していた。
「なぜ、泣いているの?」
その人はじっと僕を見ている。
「まるで、ここから一斉に飛び立ってしまいそうで、ここから、あなたを連れて、行ってしまいそうで、とてもとても悲しいのです」
僕はハクモクレンの花から目を逸らせずにいる。
ハクモクレンは、真っ白な彼のように、サラサラで、スベスベだった。
たくさんの真っ白な鳥が、大きな木にとまって、飛び立つ準備をしているようだった。
それから、ハクモクレンはあっけなく、一気に、散ってしまった。
全てが飛び立った後の大きな木は、なにもないただの墨絵だ。少しづつ近づくその木を見つめながら、また僕はいつもの道を歩いている。彼はいない。
きっと、花と一緒にとびたってしまったんだろう。見上げた木が少し滲んだ。
「おはよう」
さらさらの声に振り向くと白くぼんやりと、見覚えのある影があった。
また、景色が滲んで、さっきよりもぼやけてしまったけど、僕はもう、悲しくはなかった。
End
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