無言歌

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その書店は少し変わっていた。 地方都市の片隅にある小さな本屋さん。 大手の出版社の書籍は置いていない。 雑誌なども。 置いてあるのは、自費出版による、名もなき作家たちの本。 ジャンルは様々。 純文学、娯楽小説から漫画本まで。 恋愛、異世界、SF・ファンタジー、歴史、ミステリー、青春・学園、お仕事、アクション・バトル、ホラー・サスペンス…… この本屋さんでは格安で自費出版の本を製作してくれる。格安だけに装丁は簡素だが、それでもしっかりとした本だ。 しかも。 このお店で『出版された』本は、本棚に並べられる。ネット販売もしてくれる。 そして何よりも。 このお店で本を出版した作家さんは、毎晩催されている朗読会で自分の本の一部を自ら読み上げ、人々に紹介することができる。 毎回三十人ほどの参加者だが、みな熱心に朗読を聴き、気に入るとその場で本を買っていく。 僕もこの朗読会の『聴き手』としての常連で、週に二、三回は参加して、今生まれた新しい物語と語り手を探している。 ここは、物語を創り、読むことを愛するものにとって、何ものにも代えがたい大切な場所なのだ。 その朗読会の常連さんで、気になる作家がいた。 高校の制服を着ている女の子。 得意なジャンルは、恋愛、青春・学園、詩・俳句・短歌。 僕はその子が創り、その子が歌うように読み上げる物語が好きだった。 少し控えめだけど、何かを伝えようとする愚直な語り口。 客席のみんなもそう。 その子が言葉を紡ぐと、目を閉じ、しみじみと頷き、クスリと笑い、涙を滲ませる。 彼女がこの場で紹介してくれた著書の数々は、僕の宝物だ。 ところが、毎週のように朗読会に出演していた彼女の姿が最近見られなくなった。 僕をはじめ、彼女の本と朗読を楽しみにしていた聴き手・読み手たちはそれを残念に思い、心配する。 数か月後の朗読会で、彼女は姿を見せた。 壁に掲示されていたすべての出演者の朗読が終わり、少女は小さなステージに立った。 その隣に、この本屋さんの店主が立って口を開く。 「彼女の代わりにお話しします……いつも、私の朗読を聞いていただき、ありがとうございます。声が出なくなってしまいました。お医者さんの診察によると、何かストレスが原因のようです。残念ながら、ここで皆さまに私の物語をお伝えできなくなってしまいました。このお店に私の書籍は置いていただけそうなので、引き続きお手に取っていただければ幸いです。今まで本当にありがとうございました」 客席がざわめく。 帰り際、観客はみんな彼女に慰めの言葉をかけたくて列をつくる。 その列に僕も並ぶ。 「いつも、君の物語を聴かせてもらい、読ませてもらっています。本当に素敵なお話をありがとう」 彼女はすまなそうに礼をして謝意を僕に伝える。 「ところで、君は手話を習っているのかな?」 不思議そうな顔で僕を見つめながらも、若き小説家は、こくんと頷いた。 「そうしたら、また朗読会をやれるよ」 「?」 「僕が伴奏するよ」 「?」 「僕はピアニストの端くれなんだ」 一か月後。 彼女は朗読のステージに立った。 観客席がどよめく。 僕は、店主が用意してくれたアップライトピアノで演奏、いや伴奏を始める。 曲は、メンデルスゾーンの『無言歌』。 彼女の作品にあわせて、 春の歌 紡ぎ歌 子守歌 舟歌 を奏でる。 少女作家は、それに合わせて手話で物語る。 踊るように。 もどかしさを隠すように。 そして、 抱擁するように。 そのしなやかな手が紡ぎ出すものは、かつて彼女が僕たちを魅了し、 癒してくれた声、そのものだった。
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