『惚れっぽい女』

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『惚れっぽい女』

 君は惚れっぽい女だ。名前を呼ばれれば頬を火照らせ、触れられれば目を泳がせ、優しくされれば告白するような、そんな単純な女。 「あームカつく」 細く白い腕には似つかわしくないビールジョッキを豪快に煽り、黄金色の炭酸を音を立てて飲み干す。叩きつけるよう机に置かれたジョッキから、一筋の水滴が流れた。 「飲みすぎじゃないか?」 「うるへー、黙って付き合え」 すでに回らぬ呂律で悪態をつくと、お構いなしに追加でビールを注文する。運ばれてきた二つのジョッキを眺めながら、まだ半分程しか減っていない自分の分だと理解をするのに数秒かかった。  どうやら彼女は、彼氏に振られたらしい。確か三歳年上の営業職をしている男で、スポーツマンさながらの健康的な肌の色と、不自然なくらい歯が白いのが鼻につく奴だった。飲み始めて早々、烈火の如く不満や理由を吐き出していたが、要約すると彼女は二番目の女だったのだ。 「もう本当に最悪」 「俺は止めておけって言ったけどね」 「らってかっこよかったんだもん」 「そういって、いつもこうじゃないか」 呆れた顔で彼女を見るが、俯く顔が上がることはない。返事なのか、口の中で呪文のように言葉を唱えているが、自分の耳には到底届きそうもなかった。  惚れっぽい彼女はいつもこうだ。向こう側が見えそうな程薄い男の甘い言葉に着いて行き、鞄の奥底でくしゃくしゃになったレシートのように扱われ、思い出したように捨てられる。その度に自分を呼びつけては、そのくしゃくしゃの姿のまま、「私は捨てられた」と哀音を上げるのだ。  そんな彼女の姿を見る度に、どうしようもない苛立ちを覚える。でもそれは学習せずに騙される彼女でも、彼女を騙す糞みたいな男でもない。何よりも酒に付き合うことしかできない自分が一番腹立たしいのだ。内に秘めた思いを日に日に募らせておきながら、今目の前に放り出された手を掴むことすらできない。ジョッキに目をやると、臆病で卑怯な男の顔が歪んで睨んでいるようだった。 「もういい」 彼女が吐き出した言葉が、地面に落ち足元に転がる。 「何が?」 「どうせ私は幸せになれない」 瞳の輪郭が滲む。その瞳の奥は、一筋の光も見えない暗闇。その闇を覗こうとすると、心臓が掴まれた気がして、予定のない言葉が口から零れ落ちた。 「俺にすればいいのに」  息を呑む。今自分はなんと言っただろうか。そして君の耳に届いてはいないかもしれない、届いたところで酔っぱらった君に理解などできないかもしれないと、頭の中で思考を巡らせるが、そのどれもが言い訳がましかった。  店内の喧騒が耳につく。二人の間に流れる時間から切り離されたように世界が回る。ゆっくりと口を開いた彼女は、どこか悲しそうな顔をしている気がした。 「だって君は特別でしょ?」  君は惚れっぽい女だ。名前を呼ばれれば頬を火照らせ、触れられれば目を泳がせ、優しくされれば告白するような、そんな単純な女。そんな君から一度も好意を寄せられない俺は、ある意味『特別』だった。世界一不名誉で、世界一情けなくて、世界一苦しい、『特別』という名の称号。
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