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『五感』
あなたの香水は、男にしては甘い香りがした。でも嫌いじゃなかったわ。あなたの声は、低く掠れていたわね。お酒が好きだったからかしら。あなたの髭は伸びるのが速くて、夜にキスをするとチクチクと肌を刺したの。あなたの汗はしょっぱくて、舐めると背筋がくすぐったかった。そんな私を見て、あなたは困った様に笑っていたわね。
五感全てであなたを覚えている。五感全てを、あなたが支配している。
慣れない天井。耳を澄ますと微かに聞こえるクラシック。音のないテレビの灯り。軋む音。私の頬を撫でる硬い手。今夜私は、あなたじゃない男に抱かれる。
あなたの香りじゃない、あなたの声じゃない、あなたの肌じゃない、あなたの顔じゃない、あなたの味じゃない男。
重みでベッドに沈んでゆく。シーツの擦れる音。筋肉質の黒い腕。体温。煙草とアルコールの香り。私の名前を呼ぶ声。吐息。
私は容量の良い女じゃないから。あなたのデータが上書きされていく。私の五感が、上書きされていく。あなたじゃない男に。それを虚しいと思うこの気持ちも、きっとその内に。
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