“与える”の意味

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“与える”の意味

“約束の地”と言えば、ヘブライ語聖書に記された、神がイスラエルの民に与えると約束したカナンの地を一般的には指すらしい。 それは、現代で言えば、イスラエル人、パレスチナ人が居住している地域にあたる。 この“約束”は、アブラハムに最初に与えられ、その息子イサクに、さらにイサクの息子でアブラハムの孫であるヤコブにも与えられたとされる。 “約束の地”は、「エジプトの川」からユーフラテス川までの領域とされ 出エジプトの後、約束された者の子孫に与えられるとされた。 つまり、ヘブライ語聖書の字義通りに捉えれば、ナイル川とユーフラテス川を挟んだ地域は、 アブラハムの子孫にあたるユダヤ人に与えられた土地という事になる。 これを根拠に、シオニストと呼ばれる 強硬派(?)イスラエル政権の首脳が、 パレスチナ人を“約束の地”から追い出そう(もしくは、殲滅しよう)としているのが、パレスチナ紛争(実際にはそんな単純な事ではなく、英の“3枚舌外交”など複雑な歴史が絡んでいるようだが) らしい。 根付く場がない、故郷を奪われるということがどういうことなのか、たぶん私たち日本人には分かりにくい。 けれども、“神から与えられた約束の地”を取り戻したい、いざという時に帰れる国が欲しいという思いも分からなくはない気がする。 “帰る場所がある”という安心感だろうか。 20世紀初頭、故郷を失ったユダヤ人の中心はロシア東欧にあった。 (ロシア帝国 520万人(ポーランドの多くを含む)、オーストリア・ハンガリー帝国207万人、ドイツ52万人、アメリカ100万人) ロシア東欧で様々な迫害に遭い、逃げのびた人々は、しかし多くはシオンを目指したのではなく、北米へ向かった。 小さな商工業を営むユダヤ人にとって北米(アメリカ)の方が仕事があり、移民を受け入れていたからだ。 北米などで豊かになったユダヤ人(イスラエル人)がイスラエルの地をお金で買い建国したのが今のイスラエルという国のようだ。 聖書でいう“与える”とは、そもそもどういうことを意味するのだろう。 私は、宗教を専門的に学んだわけでもないから、普通の人の感覚としてなのだが、神や仏は人を“救い導く”ものであって(時に裁く事もあるようだが) 虐げたり差別するものではないと思う。 だから、たとえそこが“約束の地”として“与えられた”場所だとしても、既にそこに長い間住んでいる人(パレスチナ人)を追いやったり、ましては虐殺して良いという理屈は成り立たないと思う。 それは、子どもを“授かった”としても 自分の所有物ではなく、別人格として尊重しなければならないのと似ていて、その地に住む人が皆平穏に暮らせるように“任された”もしくは“託された”と捉えるべきではないかと思うのだが、どうだろうか。 聖書には、終わりの日に神が人を裁くと書いてあるらしいが、100歩譲って、 間違いを犯かして改めない人類を神が裁くことはあったとしても、人が人を神の名の下に殺めてよいとは思えないし、そんな事は聖書には書いていないはずだ。 ユダヤ教やキリスト教には、選民思想があるとも聞くが、人が選ばれるというのは“偉い”とか“特別”なのではなく、 “責任が重い”という事なのだと、私は考える。 ヨルダンのバカアという処に、パレスチナ人の大きな難民キャンプがある。 そこに住むある女性が言った。 「私たちは故郷を追われもう50年です。毎日が地獄でした。 でも、日本の人たちが私たちに希望をくれました。小学校を作ってくれたのです。子どもたちに“学ぶ”という希望を与えてくれました。」 その小学校には、日本人の女の子とパレスチナ人の女の子が桜の木の下で手を繋いで、足下にパレスチナの国花アイリスが咲いている大きな陶板画が飾られていました。 ですが、もうその陶板画も小学校もありません。イスラエル軍の爆撃で壊されてしまったからです。(なのに、何故かこの事に関し日本政府は何も反応していません。) しかし、イスラエル人=シオニストではありません。イスラエルの国民の多くは、この戦争に反対して止めるように毎日のようにデモをしているのです。
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