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愛はずっとあったのに
「プリンス。約束して。私が死にそうになっても病院に連れて行かないで。死んだら海に捨てて」
「どうしてそんなことを?」
「死期が近いの」
「その若さで?」
「うん。もうそんな長くない」
翌日から、プリンスはやたらと結婚を望むようになった。
「結婚して欲しい。どうして嫌なの?」
「書類を役所に提出するだけでしょ? しなくても何も変わらないわ」
「君と家族になりたいんだ!」
私の戸籍は入水自殺者の物。勝手に汚したくない。
怒るとプリンスは、ふらっとタワマンを出てしまう。
なんとなく尾行してみた。
実は、先輩はプリンスを警戒してたから。
「あの男はやめたほうが。デートもなしで、貴方の部屋に入り浸り、浸食していくなんて、おかしいのよ?」
「デートは憧れますが、わがままを言うのは怖くて」
だって、他に私に愛してくれる人なんていないもの。
「あら。お帰り。早かったのね」
「あのバカ女は、結婚だけは渋るんだ。タワマンが手に入らん」
プリンスと待ち合わせた女性は妊婦。小さい子と手を繋いでる。
なるほど。
タワマンが欲しくて、愛する人を放置してまで私といるのか。
ぐらりと偽物の足が揺れて、悔しさが溢れる。
人魚はもう新しく産まれないのに、人間はまた産まれる。
それが、とても悲しい。
私は職場に退職願を書いた。
それさえ、先輩に教えてもらいながら。
「どうして辞めるの?」
「プリンスには子どもがいましたから」
「そっか。離れるのは残念だけど、職場は変えた方がいいかも。もう貴方なら、どこのカフェでも大丈夫よ」
「今までありがとうございました。本当に助かりました。こんな親切な人に出会ったのは初めてです」
「まあ。大げさね」
「このタワマンをあげる。プリンス。サインして」
「いいのか!?」
「どうぞ。もう陸にいたくないの。こんな狭い部屋なんて要らない」
「へ?」
「私は人魚。海に帰るわ。さよなら」
鍵を置いて、タワマンを出た。
グサッ!!
海に入る前に脱ごうとすると、背後から足を斬られる。
この町は夜でも明るい。
振り向くと、プリンスの欲にまみれた恐ろしい顔が見えた。
私は、こういう人間の表情を何度か見ている。
「本当に、俺には前世の記憶がある」
「そう」
「俺の村には、人魚を食えば不老不死の伝説があった。そして実際に食った大人は、歳をとらなくなった」
「ああ。あの恐ろしい村の子か。こんなふうに育ったのね。どうぞ。食べて。足はもう二度と使わないから」
プリンスは切り取った私の足を口に入れた。
ザバ──ンッ!!
服を脱ぎ、狭い入り江に飛び込む!
大海に出て、ビュンビュン最速で泳ぎまわる!
愛されたかっただけだった!
斬りつけなくてもあげたのに!
悲しみをぶつけて泳ぐ。
「トゥルー! 探した!」
「初めてだな。君が探してくれるなんて」
「会いたくて」
「最後に会えてよかった」
「最後?」
「寿命はとっくに越えてるんだ。もって後五十年かな」
たくさん死を見てきた。
トゥルーの死だけは耐えられない。
大切な友達だから。
「私を食べて。私も、後五十年で死ぬから」
「食べるわけないだろ。五十年だけそばにいてくれる?」
「いいわよ。たった五十年くらい」
「愛してる」
え?
嬉しい。嬉しい。嬉しい!
トゥルーにその言葉を言ってもらえるなんて!
「早く教えてくれないと。九百五十年も探しちゃったじゃない!」
「クジラごときが、こんな美女に、なかなか言えないよ」
「私はトゥルーが大好きよ」
辛い時に会いたいのはトゥルーだった。
一緒にいると心が安らぐから。
「ねえ。また傷つけられたの?」
「私はだれも傷つけてないのにな。どうしても嫌われちゃう」
「俺もだ。もし望むなら、その辺の船を片っ端から倒そうか?」
「絶対ダメ。人間って怖いだけじゃないの! 凄く優しい先輩がいてね、寄り添ってサポートしてくれたおかげで、私は一人前……は、まだだけど役に立てるバリスタになれたの!」
人間界の楽しい想い出を、トゥルーに話す。
どれだけ、先輩の気遣いが暖かく胸に染みて、感謝してるか。
コーヒーがどれだけ複雑で、奥が深いかも。
職場では、本当によくしてもらって、楽しかったから。
「つまり、その先輩が、俺から何万何千の人間を救うわけだ」
「うん。トゥルー。もう怒らないで」
それからトゥルーの身体が私の家になった。
昼は背中で寝たり、夜は口の中で寝たり。
愛されて安心して暮らす生活は、幸せでたまらない。
夕陽も、サンゴ礁も、イワシの群れも、流氷さえ、ひとりぼっちじゃなくて、トゥルーと一緒なら格段に美しい!
毎日が憧れのデート!
私たちは、お互いに優しくいられる。
大切にすべき幸せは、ずっとそばにいた。
それに気づかなかっただけだった。
けど四十五年して、トゥルーが余り泳げなくなった。
「トゥルー。お願いだから私を食べて。愛してるの」
「君を探すために泳ぎ続けたんだ。君がいない海を泳ぐなんて絶対嫌だ」
最後の五年は一人で過ごした。
もう卵にならなくてすむのが嬉しい。
トゥルーのいない世界に生まれたくない。
この四十五年が、私の宝物。
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