約束の場所へ

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「パパの名前、わかんない。ゆっちゃんが生まれる前に死んじゃったんだって」  そう言いながらも、その子は笑顔のままだった。一度も会ったことも、会話したことも、見たこともない父親という存在に加え、まだ死というものも本当の意味では理解できていないだろう幼さだ。そのことが、さらに踏み込む図々しさを俺に与えた。 「お父さん、ゆっちゃんのパパはここに住んでたのかな?」  この場にいる俺に「パパ知ってる?」と訊いてきたのだ。きっとそうなのだろうと思って訊いた。父親の名は知らなくても、祖父母には会ったことがあるかもしれない。そう考えてのことだ。だがやはり少女、ゆっちゃんは首を横に振った。 「ううん」  やはりそれも知らないのか。そう思ったが、そうではなかった。 「パパは遠いところから来たって。ここはね、ママとパパが初めて会った家があったって言ってた。ママが」  俺はそれを聞いて周りを見渡した。だが、ゆっちゃん以外に人の気配はない。車のエンジンの音も、人が話す声も。ただただ蝉が休むことなく鳴き続けているだけだ。 「ゆっちゃんのママは? ここにゆっちゃん独りで来たんじゃないでしょ?」
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