あのよ。

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 小屋を建て畑を作り、ときには町をうろついて食べられる草をとる。当たり前に食べられて当たり前に眠ることのできる生活にはほど遠い。掘っ立て小屋で眠っても隙間風が激しく俺は晶子さんと肩を寄せ合って眠る。一つだけ、戦時中と違うとすれば殺される恐怖は和らいでいた。  少しずつ少しずつ。できることをして生活を構築していく。人に頭を下げることも人を助けることも互いに手を取り合うことも。皆が貧しく困っている。困っているから皆で作り上げる。少しずつ少しずつ。それを合言葉のように隙間風の少ない家に住めるようになるまで十年かかった。もう三十も半ばを過ぎている。晶子さんも俺と同い年。ときに言い争うことはあったが、今なら今ならば幸せだと言っていいのかも知れない。だというのに俺は生活を構築していく毎日の中で人を殺した感触がよみがえり夜中に何度も飛び起きる。  俺の身体に幸せになることを拒否しているのだ。 「ねぇ誠司さん」  晶子さんと二人で農家として生きる毎日の中、簡単な夕飯を囲んでいるときに晶子さんはぽつりと呟いた。 「そろそろ子供を作りませんか?」  考えなかった訳じゃない。夫婦として生きていくならば、その話は必ず出ると思っていた。ただ、俺は俺が幸せに生きることにためらってしまう。 「俺は……、この手で沢山人を殺した……。そんな手で子供を抱ける訳がない……」 「誠司さんは、人を殺したことをずっと悔やんで、その後悔を人のために生きることで罪を償おうとしているのでしょう? 戦争に行った人は確かに沢山人を殺したでしょう。それは誠司さんのせいではないでしょう。ずっと後悔しているのは誠司さんの優しさです。でしたら、生まれてくる子供のために優しい世の中を作るきっかけになってもいいんじゃありませんか?」  晶子はゆっくり優しく諭すように話しかける。 「私は誠司との子供が欲しいです。わがままかも知れませんけど、子供のいる家族になりたい」  頭に浮かぶのは杉田の顔。杉田、いいんだろうか。この罪に塗れた手で幸せになっても。 「晶子さん、子供を作る前に一つ話を聞いてくれないか。情けない話ですが」 「ええ。聞きますとも。夫婦でしょう?」
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