あのよ。

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 バスの中で、電車の中で、杉田に会えることはないだろうと薄々思っていた。思っていたのに、駅前にある店の名前を見つけたとき、これはと思ってしまった。  松本は桜が咲いていた。北より早く訪れた春。そこに見つけた店の名前。 『()のよ』 「あの世だ……」  つい口に出た。そんな奇跡みたいな話などないのに。杉田がいる保証などないのに。足がそちらに向く。  晶子さんは何も言わず黙ってついてくる。  扉を開けると威勢のよいいらっしゃいが響いてくる。  その声の主はかなり若い。テーブル席に座敷。普通の定食屋だ。ただ、顔を見せたいらっしゃいを言った若者の顔に杉田の面影を見る。 「お客さん、俺の顔がどうかしました?」 「いや……。古い知人に似ていたもので」 「へぇ、うちのじじいの知り合いですかね?」  若者は奥のテーブルで新聞で顔が隠れた人物を指差す。 「うちのじじい、変わり者で昔の友人とあの世で再会する約束したから、この店の名前『吾のよ』にしたんですよ。縁起悪いったらありゃしない」  若者はけらけらと笑う。 「いいじゃないですか。俺も友人とあの世で再会する約束したもので、この店が気になったんですよ」  奥の人物は新聞を置いて、こちらを眺める。  お互いに顔を見合わせた。どんなに老人になっていようと分かる。生死をともにした仲間。 「杉田!」 「田村!」  若者が目を丸くしている。晶子さんが口をぽかんと開けている。 「生きていたのか!」 「こっちの台詞だ!」 「太史! 今日は閉店だ! 貸し切りさせてもらうぞ! 田村が見つけてくれると思ってこの店を開いたんだ! ここが約束のあの世だ!」 「馬鹿野郎……」  三代目であるという太史くんが、奥の座席に通してくれて、日本酒の瓶をテーブルに置いた。 「時間は気にせずどうぞ。まさかじじいの思惑通りにはなるとはな」 「太史! 口に気を付けろ!」  悪態をつく杉田も幸せな時を過ごしたのだろう。晶子さんも俺の横に座っている。  杉田も自らの連れを店に呼び戻した。 「さぁ田村、どんな人生歩んだか教えてくれ。俺も語りたいことがあるんだ」  杉田の言葉に頷いてから日本酒の注がれたコップを四人でかちんとぶつけて俺は口を開いた。 「あのよ」
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