あの日の景色

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私のたった一人の家族であるお母さんが突然、亡くなった。 本当に突然にして。 以前から病気を患っていたとか、交通事故にあったとかそういうのではなくそれは唐突にしていきなり。 急死というやつだろうか。 その日は、私がいつものように仕事をしていたら病院から電話がかかって来て、お母さんが職場で倒れ救急車で運ばれて、生死を彷徨っているから急いで病院に来てくださいと、本当にそれだけ。 私はその病院の看護婦さんからの電話を受けて、慌てて上司にその旨を伝え半休を頂き病院に駆け付けた。 しかし、時は既に遅かった。 慌てて病院に駆け付けた私の目に映ったのは、病院のベッドで静かに眠りにつくお母さんの姿。けれど、いつもと違うのはその目は覚めることがないという所。 私は当然、その姿を見ても受け入れられるはずもなく。 だって、そうだろう。 今日の朝まで、元気だったのだ。いつものように笑顔で「気を付けてね」と仕事に送り出してくれたのだ。 それが、今では見る影もなく言葉を交わせることもなく。 死因は、確か脳出血か心不全だったかな。 近くに控えていた病院の先生がそう言っていた気がする。 私は、ショックで頭に何も入ってこなくてよく覚えていないけど。 そして、それらの病気なら突然にして亡くなるのも珍しい事ではないことも後から知った。 でも、それにしたってこんなに急に。 私は目の前の現実を到底、信じられることが出来なくてお母さんの眠るベッドの横でただただ立ち尽くすだけ。 でも、時は決して優しくなくて待ってはくれない。 いくら私が受け入れたくなくても、前に進めと無情に告げる。 ***** お母さんの死から一カ月。 この間には色々な事があった。 まずは、葬儀。 葬儀は最低限の人数で静かに執り行った。 別に涙は出なかった。 そして、次に私自身について。 仕事を辞めた。 元々、この仕事が好きだから続けていた訳ではなかったし何より私が仕事をしていた一番の理由は親(細かに言うと、私は母子家庭だからお母さん)を安心させたかったからだったし。その理由がなくなった今、私には働く意味がなくなった。 だから辞めた。 後悔もない。 職場の人間は驚いていたが、別にどうでも良い。 これが私の人生だ。 お金だってお母さんが残してくれたお金と私が高校を卒業してから2年程働きなおかつ、その間、実家暮らしだったのと働いていたお金を使うことなく全て貯めていたのでそれなりにはある。 まぁ、それでも数年は困らない程度だけど。 それにここまで貯まっているのはお金が手に入っても趣味などもない私はたまにお母さんと食事に行く以外使う目的がなかったという悲しい理由からなんだけどさ。 何かしたいことや目標のために貯めていた訳でもない。 そして、生きることに対して何もなくなった私はお母さんと二人で住んでいた思い出の家で何をするわけでもなく過ごしている。 趣味もない。友達もいない。そして、この前親を安心させるという名目で続けていた仕事(というよりも生きる意味に近い)も失った。 なにより、たった一人の家族を。 そうなると自然に何をする気も失せて。 思えば、何処へ行くにもお母さんと一緒だった。 学校から帰る時も、買い物をする時も、食事に行く時も、それにテーマパークへ行く時だって。 その時間を失った今、私は路頭に迷う。 一人では何も出来ない。進む道もない。 そうして、過ごしていたある日。 流石にこのままじゃダメだと思い取り合えず外に出た。 行く当てはないけれど。 久しぶりに出た外は玄関先から寒い風が吹いていた。 私は、その寒さに震えながら一歩、また一歩と歩みを進めていく。 そうして歩いて行くと、ふと思い出が蘇る。 まだ私が小学生だった頃、学校が終わるといつも待ち合わせをしていた場所があった。 それは、この街にある小高い丘の上。 なぜだかそこで仕事終わりのお母さんと待ち合わせていた。 なぜ、そこか? それはもう聞ける相手が亡くなってしまった今、正確なモノは分からないけれど二人の仲ではいつの間にか習慣付いて暗黙の了解となっていた。 まぁ、考えるにお母さんの職場に近いというのとその場所から家に帰れば買い物がしやすいというものが一つと。 でも、私が考えるに一番の理由は学校に上手く馴染めない私を励ますためだったのだろう。 その理由を裏付ける最もな理由として、お母さんはよく丘から覗く景色を見ては、この景色が好きだとか、この景色を見ると日々の嫌な事も吹き飛んでしまうなどと零していたのを耳にしたことがあるから。 私はその景色にあまり興味がなくて話半分で聞き流していたけど。 それに、小学校を卒業すると同時に私も忙しくなって、いつの間にかその場所には行かなくなって、お母さんも仕事が終わったら一人で帰るようになった。 それを思い出したら私は居ても立っても居られなくなり速足でそこに向かった。 時刻はちょうど夕方になろうとしている。 速足はいつの間にか、駆け足に。 そうして、息切れを起こしながら丘の上へ辿り着く。 丘の上は茜色に染まる。 私はベンチにそっと腰かけ、しばしの間その景色を眺めていた。 眺めていると、なぜだか涙が。 決して、その景色に感動したわけではない。 だって、ただ夕日に染まる住宅街が見えるだけだし。 お母さんみたいにこの景色が特別好きだという訳ではない。 でも、なぜだか涙は止まる事なく溢れてきて。 ああ、お母さん。今もこの景色は何も変わる事無くここで生き続けているよ。 思わず、そう呼びかけたくなるほどに温かい気持ちになった。 これからの人生で何をしようか、それに、今はまだ何をすれば良いか私にはまだ分からない。 ただ、この茜色に輝いている空とお母さんの影をそばに感じながら私はこの思い出の場所を後にした。 もう、涙は出ない。 まるで励まされるように背中を押されながら、一歩を踏み出したのだ。
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