0人が本棚に入れています
本棚に追加
ドジっ子メイドは金ぴかメダルがほしい!
金持ち一家の入江家では最近、困った問題が起きていた。
「まーた、もらってしまったよ」
次男の燈次がため息を吐き、手に持った物へ視線を落とす。
手にはきらきらと光るコインが10個。
メイドのさとは燈次の顔を不思議そうに見つめた。
「どうしてそんな顔をしているんですか?」
「また兄貴のコイン癖が発揮されたんだ」
「コイン癖?」
「ああ、前回はさとがここで勤める前だったか」
そう言って燈次はコイン癖のことを話した。
入江家の長男はときどき、どこからか謎のコインを買ってくる。昔の外国の通貨だとか、ただのおもちゃだとか、その種類はさまざまだ。
そして長男は手に入れた大量のコインを弟や妹に配って歩く。ただ配るのではない。彼らが何か「いいこと」をしたら、その報酬として渡すのだ。
その話を聞いたさとは目を輝かせた。
「素敵です」
「それがな、兄貴にはコインをあげる明確な基準なんてないんだ。例えば野菜を残さず食べたとか、今日も元気だとか」
「それはいいことです」
「ああ、違うんだ。特に理由はなくても、兄貴は何らかの理由をこしらえて、あげたい人にあげるんだ。今日だって、俺が有名な絵画をちょっといいって言っただけで、実に素晴らしい知見だと褒めちぎり、コインを10枚もくれたんだ」
「ほあ……」
「俺の部屋の本棚、もう見たか? コインがうず高く積まれて、今にも崩れそうなんだ。保管場所を考えるのも億劫でな……」
燈次は心底困ったというふうに天を仰ぐ。しかしさとは、彼の手のコインに目を奪われている。
コインは日の光を受け、金色に輝いている。角度を変えると赤やオレンジにも見えて美しい。表面に刻まれた模様はどこか花丸にも似ている。
「私もほしい……」
さとは心底うらやましそうだった。
長男は弟妹にはコインを惜しみなくあげるのに、メイドには渡さない主義のようだ。だからさとは、一度もコインをもらったことがない。
すると燈次はこれ幸いとばかりに微笑み、さとの手にコインを乗せた。
「俺には不要だ。好きなだけ持っていくといい」
さとはぱあっと顔を明るくした。だがすぐに唇をきゅっと結び、コインを彼の手に戻した。
「これはいいことをしたらもらえるんですよね。だったら、私も自分でいいことをして、自分でもらわなきゃ、です」
「いや、でもさとは」
そこまで言ったとき、廊下の先から長男が燈次を呼ぶ声がした。燈次は最初無視していたが、あまりにもやかましいので、彼は渋々声の方へ向かっていった。
さとはダイニングテーブルをゆっくり拭きながら考える。
「コインをもらえるいいことって、何かな。いつものお仕事より、もーっといいことじゃなきゃってことだよね」
さとは長いまつ毛を穏やかに上下させ、天井をじいっと見て考えた。いつもより入江家の人々に貢献できることとは何だろう。
「そういえば、燈次さまがいいって言った絵画があるんだよね。それを玄関に飾ったら、みんな嬉しいって思うかな!」
さとはテーブルの花瓶に向かってニッコリ微笑んだ。
さとはコンビニエンスストアへ行き、燈次が褒めたという絵画を拡大コピーした。とにかくおっきくしたい、と店員に言ったら、分割して印刷する方法を提案してもらえた。
さとはA1用紙に分割された絵画を順番通りに並べ、屋敷の玄関ホールに飾る。ひとつずつ、丁寧に。
ちょうどそこに燈次と、その兄が通りかかった。
さとは間に合ってよかった、と微笑んだ。
しかし……。
「う、うぎゃあああっ!」
燈次が悲鳴を上げてすっころんだ。長男も「何てことをしてくれた!」と声を荒らげている。
この反応は完全に予想範囲外だ。さとはよく分からず首を傾げる。
「私、貼る順番を間違えちゃったかな……」
さとはその絵画をよく見てみる。
森の中で、花を持った少女が寝転がっている、綺麗な絵だ。何もおかしなところはない。
いや……さとは絵画を2分間じっくり見て、ようやく違和感に気づいた。
「あれあれ? 絵が真っ赤です」
コンビニのコピー機は故障していたらしい。本来はみずみずしい緑色であったはずの葉は、乾いた血のような色に染まっている。かたわらの木の幹もおどろおどろしい化け物のようだ。
完全に、ただのホラー絵となってしまった。
続いてさとは、次の「いいこと」を考える。でもナイスアイデアは浮かばない。
「そうだ。燈次さまのお洋服を綺麗にしないと」
今日の昼食時、燈次は服にカレーをこぼしてしまった。早く対処しなければシミになってしまう。
さとは洗剤を持ち、洗面所へ急ぐ。本人は小走りのつもりのようだが、動きがゆっくりなので、音をつけるなら「ぽてぽて」といった感じだ。
さとは燈次の服の汚れた部分に洗剤をかけ、こする。すると大きな範囲を汚していたカレーの汚れが綺麗になくなった。
「わあ。食器用洗剤ってすごーい!」
さとが使った洗剤はキッチンで使う食器用のものだ。服の汚れを落とすとき、食器用洗剤が効果的な場合がある。カレーの汚れもそのひとつだった。
さとは綺麗になった服を惚れ惚れと眺める。それにしてもさっぱり落ちた。この洗剤は特別な力があるのかもしれない。
「そういえば、廊下のお掃除がまだだったな。……そうだ。この洗剤でゴシゴシしたら、とってもピカピカになるかも!」
さとは屋敷の廊下が光沢を放つ姿を想像した。その輝きはやがて、さとの想像の中で、大量の金ぴかコインに変わった。
さとは妄想上で、コインを手に乗せてさまざまな角度から眺める。
「これで私も、コインが綺麗だなーって、できるかな!」
さとはぽてぽてと廊下へ向かう。そして食器用洗剤を撒いて、雑巾をかけてみる。すると、ずっと気になっていた汚れが綺麗さっぱり落ちていた。
「わぁ。すごい!」
さとは追加で、大容量のボトルに入った食器用洗剤を持ってくる。そしてすべて廊下に撒き、鼻歌を歌いながら、ゆっくりゆっくり、こすっていく。
そこにちょうど燈次が通りかかった。燈次は少し疲れた様子だった。だからこそ、さとは掃除中の廊下を見てほしかった。
誰だって綺麗な物を見れば元気になる、と思ったからだ。
さとの呼び声に燈次は軽い笑顔を見せた。そして、さとのほうへ一歩足を踏みだす。
しかし。
「っおぼあっあああ!」
燈次は奇声を上げ、足を滑らせた。一瞬、宙に浮いたかと思うと、彼の身体が上下逆さまになって床に落ちる。彼は頭の頂点を床につけ、くの字に曲げた両腕を床に突っ張って、身体を支える。
今から逆立ちをしようとする、準備のポーズみたいである。
燈次はそのままの体勢で少し止まっていたが、手を滑らせた。そして変なポーズのまま、ツルツル! と床を滑って行った。ブレイクダンスみたいな光景だ。
燈次は停止し、ぱたりと背中から倒れる。仰向けのまま、なかなか立ちあがらない。
さとは恐る恐る燈次の顔を覗きこむ。彼はぼうっと天井を眺めている。
すると、背後からうなるような声が聞こえた。
「……よくも俺の弟をひどい目に遭わせたな」
振りかえると、入江家の長男がいた。彼は怒りで顔をゆがませ、わなわなと震えている。
「申し訳ございません、これは」
さとが腰を折ると、長男はむしろ怒りを増幅させた。そして彼は重々しい口調でこう告げた。
「燈次は今、具合が悪いのだぞ」
さとは燈次に視線を移す。彼の覇気のない眼差しは、たしかに病人のそれだった。
長男は足をダンと鳴らし、言葉を続ける。
「お前のようなメイドが、コインをもらえると思うなよ」
屋敷を出たさとは、とぼとぼ歩く。
さとの心にあるのは、燈次に対する心配と申し訳なさだ。燈次は元々体調が悪くなりやすいが、あんなひどい目に遭わせる必要はない。
さとは買ったばかりの冷却シートを眺める。燈次のひたいに貼り、病気の緩和を行うためのものだ。
さとは足を止めた。
「私みたいな、何にもできないメイドが、いいことをしよう、なんて思ったから……」
さとは両手を組んで祈る。
「もうコインがほしいなんて考えません。だから燈次さまの体調を治してください」
そのとき。そばの公園から子どもの泣き声が聞こえた。
高い木に風船が引っかかっていた。そばで母親らしき人が見ると、ぴょんぴょん跳んでいるが、とうてい届きそうにない。
風船には流行りのロボットアニメの絵が描かれている。きっとイベントで配っている特別な物なのだろう。
さとは取ってあげたいと思った。
さとは、離れたところから助走をつけて走る。しかしぽてぽて歩きなので、まったく速度が出ない。
しかもさとは木の直前で停止した。助走からジャンプへスムーズに移る方法が分からないのだ。
さとは10秒ほど、その場で立ちどまった。その後で膝をぐっと折り曲げ、2メートルほど跳んだ。
さとの動きはいつもゆったりしている。でも、それはそれとして、さとの身体能力は高いのである。
さとは風船を上から包むようにして取り、少年に渡した。母親は「ドッキリ?」と言って周囲を見回したが、少年は純粋に「すごーい!」と感動していた。
さとは何がすごいのか分からず、ゆっくりとまつ毛を上下させた。
「お姉ちゃん、これあげる」
そう言って少年は、折り紙をくれた。形はいびつだが、メダルをかたどっているようだった。折り紙の色は金だった。
「わあ。いいの?」
「いいことしたら、いいものもらえるんだよ。ママが言ってた」
母親はようやく我にかえり、慌てて頭を下げる。嬉しそうな少年と、熱心にお礼を言う母親。そして手の中の、いびつな金色のメダル。
さとは何だか、胸の奥がふわっと温かくなった。
翌日。すっかり回復した燈次に、さとはあの日のことを話した。
さとは燈次に対する非礼もわびたが、燈次は慣れた様子で、あまり気にかけなかった。
それよりも燈次は、さとが手に持った折り紙のメダルのほうに関心を向けていた。
「これは、いい物をもらったな」
「何もしてないのに、もらってよかったのでしょうか」
「風船を取ってあげたんだろ? そんなにいいことは他にないさ」
さとは少し照れくさくなり、自分の髪をいじった。
「金ぴかコインがほしいなんて、欲張り言うのはやめようと思ったのに」
燈次は指をパチンと鳴らす。
「そのことだけどさ。さとにはいつもよくしてもらってるから、俺がお前にコインをあげようと思ってたんだ」
「私に?」
「寝込んでいるとき、スマホで通販サイトを巡って探していたんだが……。ポチる前でよかったよ。だって、こんなに素敵なメダルに勝てる物はないからな」
燈次はくすっと笑う。さとはまた照れくさそうに、自分の三つ編みを指先でいじる。
燈次は「そうだ」と言い、両手をパンと音を立ててあわせた。
「代わりに額縁を買おう。そのメダルを綺麗に飾れるように。そのほうが、メダルのためにもいいだろう?」
そう言って燈次はスマホで額縁を検索し始めた。どれも高そうで、さとは遠慮しようと思った。
でもメダルのためと言われてしまったので、断るのも違うように思えた。
さとは2分間じっくり考えて、こう言った。
「じゃあ、燈次さまのために何かさせてください」
「いや、いつもよくしてもらっているし」
「でもでも、私、何かしたいんです」
さとは祈るようなポーズをし、燈次にぐっと顔を近づける。燈次は恥ずかしそうに頬を掻いた後、目を細めて言った。
「じゃあ、こういうのはどうかな」
1週間後。
さとの部屋には、綺麗な額縁が置かれていた。
その中には、あの日少年からもらった金ぴかメダルが飾られていた。
そして……。そのそばに、金ぴかのコインが置かれていた。燈次が持っていたのと同じコインだ。
燈次は長男からもらった大量のコインに困っていた。困惑の理由は、燈次がコインを「不要」と思っているせいだ。
だからさとは、燈次のコインを繋ぎあわせて、ロボットの形にした。コインでできた金ぴかのロボットはカッコよく、燈次もかなり気に入った様子だった。
その貢献を讃えられ、さとは長男からコインを10個もらった。長男もさとのがんばりを認めてくれたのだ。
さとは今日もメイド服に身を包み、屋敷の窓を拭いている。
窓の向こうに見える太陽はキラキラ輝いていて、まるで、大きなコインのようだった。
最初のコメントを投稿しよう!