偽花火

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偽花火

 光の玉が動いていた。  夜空にパッと散って八の字を描いたかと思うと川辺の低木に消えていく。 「綺麗ね」  夜空を眺めながらポニーテールが揺れた。  見上げる横顔に見とれていた僕は「キミの方が綺麗だよ」と心の中で呟く。  声に出すのをやめたのはあまりもそれが使い古されたセリフに感じたからだ。  それに⋯⋯()()()()()()()()()()()。 「何モニョってんの?」  彼女の大きな瞳が僕の視界に広がった。 「わぁっ!」  距離の近さに思わず仰け反る。 「ねぇ、泉水くん。さっき、私に見とれてたんでしょ?」  うふふと笑う彼女の笑顔に不覚にもまた、見蕩れてしまう僕。  どんだけ、僕のどストライクなんだよっ!  ⋯⋯ダメだ。  こんなことでは、すぐに彼女に気づかれてしまう。  僕が本当は()()()()()()ことを⋯⋯。  僕は思わず汗ばんだ手のひらをギュッと握りこんだ。  僕は、湊人(みなと)。  泉水の一卵性双子の兄だ。親も時々、間違えるほどの見事な一卵性ぷりだった。  泉水は今頃⋯⋯年上のお姉様方とご乱行の真っ最中だろう。  はぁ。  僕は彼女に気づかれないように大きなため息を吐いた。  ◇◆◇◆◇ 「すいません、このへんで焦げた紙、落ちてませんでした?」  購買で限定パンを買い、教室に戻る途中で後ろから声をかけられ振り向く。  そこには涙目のポニーテールの女の子が立っていた。 「どんな紙なの?」  僕がそう聞くと、 「玉皮⋯⋯花火の欠片なんだけど、私にとっては大事なものなの」  と、少し大げさに両手をもみ絞ってみせる。 「ごめんね。見なかったと思うよ」  少し困惑気味にそういうと、女の子は困った顔になり僕も何だか申し訳ない気持ちになってしまった。 「どうしよう。大事な⋯⋯私にとっては御守りなの」 「⋯⋯そっか。他の奴にも聞いてみるよ」 「ありがとう」  彼女は暗い顔でお礼を言った。  ⋯⋯大事な御守り?  花火⋯⋯ってことは恋人と花火大会にでも行った思い出のものなのかな?  容姿は実に僕好みの可愛い女の子だったけど⋯⋯ま、僕には関係ない。  彼女の肩を落とした後ろ姿を見送りながら、その時はそう思ったんだ。 「あ⋯⋯」  廊下の消火器の後ろに焦げた厚紙が転がっていることに気づいて僕は声をあげた。  彼女はもう居ない。 「おっ!? 金でも見つけたのか?」  と僕の肩ごしに、鏡で見慣れた()()()()()がひょいと現れた。  兄の泉水だった。  性格は真逆なのに、このクリソツな顔。  知らない高校生や女子大生にビンタされたり、水をかけられたり、道端で泣かれたりなんぞは日常茶飯事だ。本当にウンザリする。  だから、普段から間違われないように僕は学校にいる間は黒縁の伊達眼鏡をかけるようにしていた。 「いや、単なるゴミだよ」 「⋯⋯なんだ。なぁ、湊人。そのパンくれね?」 「ヤダよ。これならあげるけど」  焼け焦げた玉皮を泉水の眼前に突きつける。 「おっ、なんかこれキラキラしてねぇか? 金粉?」  泉水は僕の手からひょいと奪うとそれを窓の光にかざした。 「⋯⋯まさか。花火の玉の欠片だって言ってたから、火薬じゃね?」 「へぇ⋯⋯化学部の奴に聞いてみよ。金なら高く売れるかもしれねーじゃん?」  もう、授業がはじまるというのに、泉水は屋上の階段に向かって歩いていった。  あいつ。  またサボりかよ。  僕はため息をつくと自分の教室に戻った。  今学期も泉水の代わりにまた、追試を受けさせられるかもしれない。  ⋯⋯僕もサボったら二人で追試になって替え玉しなくても済むんじゃないか?  そんな考えも過ぎったが、シングルで苦労している母親を泣かせることになるのでやめた。  結局、僕はいつも⋯⋯貧乏クジを引く方の双子なのだ。  ◆◇◆◇◆ 「なぁ。涼花(スズカ)って女、知ってる?」  遅い朝食のコーヒーに口をつけて泉水がそう言ったのは、土曜日の朝。  蝉の声が耳障りな高校最後の夏休みの初日だった。 「知らね」  ⋯⋯また、新しい女かよ。  僕は心の中で新しい彼女? に同情した。  泉水は三日と続けて同じ女と付き合えた試しがない。  よくも取っかえひっかえ⋯⋯ご苦労なことだ、と誰とも付き合ったことすらない僕はその点については感心するしかなかった。  泉水は仏頂面になった僕に構わず、コーヒーを飛ばす勢いでまくしたてはじめた。 「今夜、その涼花って女と花火大会に行く約束したんだけどさ。  そういえば今夜、N大のサークル飲み会に呼ばれてたのをさっき思い出したんだよ。  ⋯⋯なぁ、湊人。花火大会、俺の代わりに行ってくれね? あ、駅前銀時計前に17時集合だってさ。涼花、可愛いから別にお前が代わりに食っちゃっでも俺は全然構わないぜ? 多分処女だし」 「嫌だね」 「⋯⋯まぁさ。ドタキャンしても良いんだけど、必死にアイツが大事なものをくれるって言うんだよ。それでこのゴミも大事だから持ってきてくれ、とかちょっとめんどくせぇ⋯⋯じゃなくて。ほら、たまにはお前もいい思いをさせてやろうかと思ってさ」  泉水はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて僕の肩をたたいた。 「ヤダっていってるだろ。汚ぇ手で触んなや」  僕は険しい顔をつくって兄を睨みつける。 「ハイハイ。本当に湊人君は聖人君子だこと。童貞卒業のいい機会だろ? せっかくお兄ちゃんが大人の階段を登らせてやろうと思ったのに」  全くめげずに冗談めかして言う泉水。 「余計なお世話だ。受験生は真面目に勉強するんだよ」  そう答えたのに、僕の目は泉水が机の上に置いたモノに釘付けになった。  ⋯⋯これ。  あの女の子が探していた花火の欠片か。  ⋯⋯なんだ。  あの子もあっさり、泉水に陥落したんだ。  でも。  ひょっとして、僕が拾って⋯⋯あの時。  泉水に渡さなければ、花火の約束なんて彼女はしなかったかもしれない。 僕のせい⋯⋯?  そんな罪悪感にかられてしまった僕は結局。  伊達眼鏡を外し、泉水の服を着て約束の時間に駅前の銀時計に足を向けてしまったのだった。  ◆◇◆◇◆ 「ねぇ、私の御守り。持ってきてくれた?」  花火大会もフィナーレを迎え、少しづつ引いていく人波の中で涼花は僕の手を握った。 「⋯⋯えっ? あぁ⋯⋯」  左手から伝わる彼女の体温に僕は狼狽えた。  僕の手汗が凄いんだが。  どうしよう⋯⋯。  パニックになって棒立ちになる。 「まだ、時間大丈夫だよね? ちょっとそこに座ろ」  彼女にグイグイと引っ張られて土手沿いのベンチに二人で座った。 「はい、これ⋯⋯」  ポケットの中から、ダイニングテーブルに泉水が置きっぱなしにしていった花火の玉皮を取り出した。 「ありがとう⋯⋯」  彼女——涼花は両手で大事そうにそれを受け取る。 「ねぇ、それって⋯⋯」  僕は思いきって尋ねた。 「うふふ⋯⋯大丈夫。爆発したりしないわよ?」  涼花はおどけてヒラヒラと振って見せた。 「だろうね」 「ねぇ、知ってる? この黒いのは『星』って言うんだって。ロマンチックだと思わない?」 「へぇ⋯⋯」  僕は気のない返事をした。 「この主成分は過塩素酸カリウムで燃焼を助長し、色を出すものなの。単体としては不燃性だから衝撃を与えても爆発はしない」 「詳しいんだね」  僕はぶるっと身震いをした。  涼花の表情がなくなり、一瞬、能面のようにみえたからだ。 「⋯⋯ねぇ、泉水君。去年の花火大会、君はどこに居たの?」 「は?」 「去年も花火大会に行ったと言ってたけど、()()()()()()()()の?」 「⋯⋯え?」  僕には彼女が急に何を言い出したのか、さっぱり分からなかった。 「とぼけないで。今年、隣町の花火大会が中止になったのは知ってるでしょ?  去年、地上で打ち上げ花火が暴発したのが原因で⋯⋯不運にも屋台の灯油が爆発して私の腹違いの姉の静花が亡くなったからよ」 「⋯⋯姉?」  あぁ、そういえばニュースになっていたような気がする。  ⋯⋯嫌な予感がした。  腹違いならそれほど似ていないのかもしれないが、涼花の姉ならば絶対に美人に違いない。  また、泉水か。  あいつ、いったい何をやらかしたんだ? 「あの日、姉さんは恋人と花火大会に出かけると言って家を出たわ。焼け焦げて運ばれた時、姉さんは一人だった。  ⋯⋯傍には誰も居なかったと聞かされたの」  ───そういうことか。  あいつ、去年も花火大会をドタキャンしやがったんだな。 「誰かが傍にいてくれてら、姉さんについた火を消してくれて助かったかもしれない。あなたがちゃんと約束通り、花火大会に来てデートをしてくれていたら⋯⋯あんな人気(ひとけ)の少ない、屋台の灯油が積んであった場所の近くまで行かなかったかもしれない──」 「⋯⋯ごめん」  僕には全く身に覚えのない事だったが、この場は泉水として涼花に謝るしかなかった。 「謝られても困るのよ」  さっきまで僕が見とれていた涼花の綺麗な顔が般若のように変貌した。 「そんなことより、私の質問に答えて。ねぇ、あなたは去年、どこで花火を見ていたの?」 「ごめん⋯⋯花火大会の人混みが実は苦手で⋯⋯去年はお姉さんとの約束を破ってしまったんだ」  僕は苦し紛れに頭を下げた。  これ以上なじられたら土下座をしよう、そう思って街灯に照らされて伸びる僕の黒い影をひたすら見つめる。  もう、すっかり花火の見物客は居なくなり、土手に居るのは僕達二人だけになっていた。 「そんなの嘘。人混み、今日は平気だったじゃない」  涼花が唇の端をゆがめた。 「それは⋯⋯」  どうしたらいいんだ。  この期に及んで僕が泉水ではない、なんて通用するんだろうか。  ⋯⋯あぁ、生徒手帳でも持ってきたら良かった。 「この玉皮はね。姉の遺体の近くにあったものなの。  ⋯⋯ねぇ、本当に花火は()()()()()したのかな?」 「君は───何を言ってるの?」  遠い目になってきた涼花から僕はジリジリと後退った。 「可哀想に姉は司法解剖されたのよ。おかげで知りたくもないことが分かったの。姉は⋯⋯妊娠初期だったんだって」 「え⋯⋯?」  こうなるともう僕の手に負えるレベルの話ではなくなっていた。  この時。  さっきから僕に『去年の花火大会の日にどこに居たのか』と涼花がしつこく聞いてくる意味がやっと分かったのだ。  涼花は⋯⋯僕を───泉水を疑っている。  花火の事故によって亡くなったのではなく、僕───泉水が妊娠した姉を花火の事故にみせかけて殺したのではないか、と。 「本当にごめん。  今更で信じて貰えないかもしれないけど⋯⋯僕は泉水じゃなくて、双子の弟の湊人なんだ。  だから⋯⋯申し訳ないけど去年の花火大会に泉水がどこに居たのかわからない」  ガバッと僕は地面に頭をすりつけて土下座をした。 「はっ? 本気で言ってるの?」  呆れた顔で涼花は僕を見下ろす。 「本当だよ。僕は湊人、君がその玉皮を探していた時に学校で出会った眼鏡の方だよ」 「⋯⋯」  涼花は顔をあげた僕をジッと見つめた。 「本当だ。なぁんだ。あなた、ニセモノじゃないの⋯⋯」  涼花はベンチにへたり込むように座るとポツリ、とそう呟いた。 「泉水、急に来れなくなって⋯⋯どうしてもこれを君に返したくて僕が代わりにきたんだ───」 「違和感はあったのよ。だって、この前と雰囲気が全然違うんだもの。私服のせいかな?って思おうとしてた」 「ごめん⋯⋯」 「謝ってばかりだね、湊人⋯⋯くん、だっけ。もういいよ」  涼花は疲れた声で投げやりに吐き出した。 「あなたもニセモノだったんだ。きっと花火もニセモノだったんだろうって、そう思わない⋯⋯?」 「⋯⋯そうだな。なぁ()()|?」  いつの間にか背後に立っていた兄に向かって僕は同意を求めた。  兄の右手には───灯油の入ったポリ容器と焼け焦げた花火の玉皮がしっかりと握られているのが見えた。
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