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「魔族と人間」
「円さん、大往生だったそうよ。娘さん夫婦とお孫さん達に最期を看取られて安らかにね……」
「優しい女性だったものねぇ」
故人、丸井 円の葬儀が執り行われている葬祭会館。
故人の旧友である老齢の女性二人はハンカチを目に当て涙をぬぐう。
穏やかにほほ笑む老女の遺影は、彼女の生涯がいかに幸せであったかを葬儀の参列者に伝え、そして同時に、会場まで足を運んでくれた生前出会った人々に感謝を告げているようだった。
「女手ひとつで娘さんを立派に育てられて……ご主人と離婚されたのも再婚なさらなかったのも、やはり昔の彼のことが忘れられなかったせいなのかしらね」
「昔の彼って、魔族の血を引いてらしたあの彼のこと? お名前、なんていったかしら。イヤだわ。最近もの忘れがひどくって……ムリもないわね。私たちの年齢では……」
「私は覚えているわ。バイギさんよ、確か。何年か前に一度そのバイギさんをお見かけしたんだけど、本当にお若いまま少しもお変わりなくてね。半分魔族だからと分かってはいても驚いてしまったものよ。私たちはこんなに年を寄せたというのに……」
「あなた、バイギさんのお顔までよく覚えていたわねぇ」
「お顔じゃなくて髪の毛でね。あんなキラキラした髪の毛、人間ではあり得ないもの。『種』の影響なんだって円さんから聞いたことがあるけれど……」
「ああ、『種』ね!? それなら私もなんとなく覚えているわ。魔族にとっての魂なのよね!?」
「しぃ――っ! 声が大きいわよっっ……」
「あっ、いけないっ」
老齢の女性二人は、周りを気にして肩をすくめた。それでもまだ話は尽きず、声をおさえてしゃべり続ける。
「円さんが幸せでいられたのは、バイギさんを絶えず思っていたからではないのかしらね」
「まさか。だってあれから何十年も経っているのよ? 万が一そうだったとしたら、幸せどころか円さんがお気の毒だわ。だってあちらはいまだにお若いわけだし、ずいぶん昔に交際していた彼女のことなどとっくに忘れて、次から次にいろんな女性とお付き合いされているでしょうよ。むなしいわねぇ……」
「よしなさいよ。円さんのご霊前で……」
「あら。言い出したのはあなたでしょう?」
老齢の女性二人は、彼女の若かれし頃の、人間と魔族であったがゆえの哀しい恋の結末を思い返し、勝手な想像をふくらませヒソヒソと語り合っていた。
遺影の彼女はあんなにも穏やかな笑みをたたえ、哀しさやむなしさとは無縁だというのに……
――――――――――――――――――――
「種」――それは形ある魂の事だ。
魔族の血を受け継ぐ者は皆、「種」を生まれ持っている。多角形のきらめく「種」は宝石のごとくまばゆい光沢があり、その色は各自それぞれ違っていて持ち主の目と髪に反映している。
物語は、「ブレンド」と呼ばれる魔族と人間の混血、度合 焙義と煎路、二人の兄弟が住む人間界の図本国から始まる。
図本国は経済的に豊かで、紛争とは無縁の安寧な民主国だ。
しかし近年、この国は時々ある異世界からの招かれざる訪問者に悩まされていた。
魔界からやって来る、ならず者の魔界人だ。単独や少数で来る事もあれば集団で来る事もある。
魔界人=魔族は「種」同様に、強弱の個人差はあるものの誰もが魔力を持っている。魔力とは火や水、土や風、光などをつくり出し思いのままに操る力だ。
人間界にやって来る魔族はそれなりに強い魔力があり、人間があらゆる武力や最新兵器をもって掛かろうと到底たちうち出来ないのが現状だった。
そこで、国の平和を守るべく魔族らを駆逐してやろうと立ち上がったのがブレンドの度合兄弟だ。
彼らの魔力は純血の魔族をも凌ぐほど相当なもので、二人は図本国に現れた荒くれ魔族らの撃退を政府から依託され、今ではそれを副業としていた。
「間に合わなかったな。円の葬式……」
自宅前の高台から、煎路は街を鳥瞰していた。隣りでは兄の焙義がフェンスにもたれかかり座り込んでいる。
「間に合ったところで行けるワケねえだろ。俺はこっぴどくフラれちまったんだし、アイツにはでっけえ娘や孫までいるらしいからよ。
そもそも、人間にしてみりゃ俺たちのことなんか大昔の話なんだぜ?」
ため息まじりで答えた焙義はゆっくりと膝を伸ばして腰を上げ、夕闇が迫ろうとしている空を仰ぎ見た。
「それによ。婆さんになった円の顔、とてもじゃねえけど見られやしねえわ」
かつての恋人、丸井 円を追悼しているのか、焙義はそれからしばらく無言になった。
顎を下ろし、高台に続く坂道へと視線を落としている。
おそらく、円が若かった時分、夕暮れ時に二人仲良く腕を組み、たわいない会話をしながら歩いていた頃を思い出しているのだろう。煎路もよく目にした光景だ。
焙義の脳裏に焼き付いている円の顔はきっとあの頃のまま、肌に張り艶のある可憐な少女のままなのだ。
そんな兄を横目に見ながら煎路もまた、二人が別れた日の夜、悔しそうにつぶやいた焙義の言葉を思い出していた。
『一緒に年とれねえなら、自分だけが老けてく姿を見られるのはイヤなんだってよ』
――人間は魔族と比べ老化の進行速度が甚だしく、寿命があまりにも短い。
互いに心から愛し合っていた二人が別れた、ただひとつの原因だった。
「お帰りなさいませ、焙義さまっ」
自宅の玄関の前では、焙義と煎路の帰りを待ち構えていた少女、此留來がとびっきりの笑顔で焙義から先に出迎えた。
「おう。ただいま」
焙義はつれない態度で此留來の前をさっさと通り過ぎ、家の中へ入って行く。
「煎路さんもお帰りなさいっ」
此留來は笑顔を保ったまま、続けて煎路を出迎えた。
「ただいま、此留來っ。冷えてきたからお前も早く中に入れよっ」
素っ気ない兄とは異なり、煎路は此留來を気づかい彼女の背中を押す仕草でヘラヘラ笑いつつ一緒に中へ入った。
此留來は最近知り合ったばかりの、兄弟と同じ人間と魔族のブレンドだ。独りぼっちだった此留來を放ってはおけず、二人は自分たちの家で彼女を住まわせる事にしたのだ。
此留來は恩返しにと、料理、洗濯、掃除など、家事全般をいつもがんばってくれている。此留來の他にももう一人、この家には焙義と煎路の弟分的存在の少年が同居していた。
ロンヤという名の、やはり人間界で知り合い共に生活するようになったブレンドの少年だ。
度合兄弟と、居候の此留來とロンヤ。四人は高台に建つ三階建ての家で充実した日々を送っていた。
「きええええ――いっっ!!
女子から授かったこの番号が目に入らぬか――っっ!!」
帰宅するなり、煎路が喜悦の雄たけびを上げた。ソファに飛び込み寝っ転がると、紙きれみたいに極薄の携帯電話、ペラッペラ phoneを得意げに掲げ、焙義の目前で画面をチラつかせた。
バカ丸出しだ。
どこかまだ元気のない焙義を励ますためわざとバカっぷりを発揮しているのか、それとも単にいつも通りのバカなのか、おそらく後者の方だろうと焙義は口をゆがめた。
掲げているペラッペラ phoneは見た目の薄さにはそぐわない高度な性能がぎっしり詰め込まれているが、所有する煎路の方は脳みそツルツルで性質が薄っぺらい。
「見てみろよ、アニキ! ムリヤリ数字交換までこぎつけてやったぜ!
『人生種まきゃ実もなるさ』って名言もあるだろ? へヘッ。これからどんどんばらまいてやるよっ」
砂糖ドバドバの珈琲や糸ネバネバの納豆よりも、女の子にはめっぽう甘くねばり強い、煎路のいつものたわ言だ。
「聞かねえ名言だな。金と面倒だけはまき散らすんじゃねえぞ。お前は俺の、いや、世界中の女子たちの悩みの種なんだからな」
単調な口ぶりでにべなく返した焙義の横顔に向かい、煎路は「ベロベロベェ~」をくり返す。度合家のありふれた日常だ。
その日の夜は、焙義はなかなか眠りにつけず、そもそも眠る気にもなれなかった。三階の部屋から見える二階リビングでは、煎路も眠れないらしくソファに横たわりペラッペラphoneをいじっている。
「女に数字もらってよっぽど浮かれてやがるな」
弟を尻目に、焙義は真夜中に一人外へ出た。外へ出るやいなや見慣れた夜景には目もくれず、円とよく歩いて帰った坂道を全力疾走で駆け下りた。坂の下まで行くと今度は駆け上がり、坂道ダッシュを繰り返した。体育系熱血部員のように、何度も何度も何度も繰り返した。この程度では疲れはしないが、自分の行動がバカらしくなるとダラリと高台に寝転がり、弓を張ったような形の黄色い下弦の月を眺めた。
新月になるまでには忘れよう。
焙義は自らにそう言い聞かせた。
空がうっすら明るくなりかけた頃家に戻ると、煎路がソファでウトウトしていた。
「こいつ、まだここに居たのかよ。いつまで浮かれてやがっ……」
焙義は途中で言葉を止めた。そして、部屋から毛布を持ち出し、ペラッペラphoneを抱きしめ眠りかけている弟にそっと掛けた。
「バカが……」
壁一面の巨大な窓に焙義がふと目をやると、ガラスの向こうから薄明のありふれた街が静かにこっちを見つめていた。
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