アラブの至宝 15

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 いかに、アラブの至宝といえども、自分の惚れた女には、勝てない…  あらためて、それが、わかった瞬間だった…  あらためて、それが、証明された瞬間だった…  私は、それに、気付くと、つい、吹き出しそうに、なった…  つい、吹き出す=笑い出しそうになった…  が、  さすがに、この場で、吹き出すわけには、いかん…  笑い出すわけには、いかん…  だから、必死になって、自分を抑えた…  抑えたのだ…  すると、だ…  アムンゼンが、  「…なんですか? …矢田さん、その顔は?…」  と、いきなり、私に聞いた…  私は、そのアムンゼンの言葉に、頭に来た…  だから、  「…私の顔に、なにか、ついているのか?…」  と、しらばっくれた…  いわば、しらを切ったのだ…  当たり前だが、アムンゼンは、頭に来た…  頭にきて、この矢田を睨んだ…  睨んだのだ…  が、  この矢田は、負けんかった…  いかに、相手が、アラブの至宝といえども、負けるわけには、いかんかった…  いや、  ここは、日本だ…  サウジアラビアではない…  だから、この矢田もデカい態度が取れた…  これが、サウジアラビアであれば、こんな態度は、取れん…  なにしろ、サウジアラビアは、このアムンゼンの出身地…  いわば、ホームグランドだ…  そんなところで、この矢田が、威張った態度を取れば、どうなるか、わからんからだ…  いや、  サウジアラビアに限らず、アラブ諸国でも、どうなるか、わからん…  いわば、ここは、安全圏…  この矢田にとって、安全圏だった…  だから、大きな態度が取れた…  取れたのだ…  絶対的な安全圏から、ものを、言う…  あるいは、石を投げる…  相手が、石を投げても、決して、自分には、届かない場所から、相手には、石を投げる…  それが、私だ!…  それが、この矢田トモコだった!…  それゆえ、この矢田を睨む、アムンゼンを睨み返した…  この矢田の細い目をさらに、細めて、睨み返したのだ…  私は、腕を組み、このアムンゼンに圧をかけた…  すると、このアムンゼンも、負けじと、腕を組み、この矢田を睨み返した…  両者互角…  互いに、一歩も引かんかった…  引かんかったのだ…  が、  私とアムンゼンが、睨みあっていると、  「…二人とも、凄く仲がいいんですね…」  と、いう声がした…  その声の主は、リンだった…  私は、  「…仲がいい?…」  と、いう声に反応した…  別に、私は、アムンゼンと、仲が良くも、なんともないからだ…  しかも、今、互いに睨みあっている最中だからだ…  そして、それは、アムンゼンも、いっしょだった…  仲がいいとリンに言われたアムンゼンもいっしょだった…  「…ボクと矢田さんは、決して、仲がいいわけじゃ…」  と、でも、言いたげな、表情で、リンを見返した…  それを、見て、リンは、  「…まるで、母子みたい…」  と、続けた…  「…母子?…」  私とアムンゼンは、同時に叫んだ…  そして、その直後に、お互いの顔を見た…  穴のあくほど、ジロジロと、見た…  「…そう母子…仲がいい…母子…羨ましい…」  リンが続ける…  「…私も、そんな息子が欲しい…そんな母親が、欲しい…」  リンが、口走る…  私は、それは、冗談かと、思った…  あるいは、私やアムンゼンをわざと持ち上げたのかと、思った…  が、  それは、なかった…  たぶん、なかった…  なぜなら、リンは、真剣…  真剣な表情で、言ったからだ…  それに、気付いたのは、私だけでは、なかった…  アムンゼンもまた、いっしょだった…  だから、  「…どうして、リンさんは、そんなことを、言うんですか?…」  と、アムンゼンが、聞いた…  すると、リンが、  「…楽しそうだから…」  と、呟いた…  「…楽しそうだから、羨ましい…」  と、続ける…  私とアムンゼンは、またも、思わず、目を合わせた…  あまりにも、意外なリンの言葉だったからだ…  「…失礼ですが、リンさんは、家族が、仲良くなかったんですか?…」  アムンゼンが、聞く…  アムンゼンの質問に、無言で、リンは、首を縦に振って、頷いた…  それから、  「…だからかな…」  と、言って、笑った…  「…明るい家庭に憧れる…坊やとお姉さんのような、仲の良い家庭に、憧れる…」  「…」  「…たぶん、この気持ちは、坊やには、わからない…大人になっても、たぶん、わからない…」  「…どうして、ボクには、わからないんですか?…」  「…坊やは、男だから、わからない…」  「…どうして、男だから、わからないんですか?…」  「…男は、子供を産まないでしょ? 子供は、女を産むものでしょ?…」  「…それが、なにか?…」  「…いわば、女は、男より、子供と近い…自分が、産むから、当然よね…だから、つい、大人になる過程で、自分は、将来、こんな男と、結婚して、こんな子供を持ちたいと、考える…こんな家庭を持ちたいと考える…」  「…」  「…坊やと、お姉さんのやりとりを見ると、私の理想に、思える…互いに、距離が、近く、言いたいことを言いあえるほど、仲がいい…だから…」  リンが、告白する…  あまりにも、意外な告白をする…  そんなリンの告白に、私は、どうして、いいか、わからんかった…  そして、それは、アムンゼンも同じだった…  いや、  アムンゼンだけではない…  葉敬も、バニラも同じだった…  おそらく、そのリンの告白から、リンが、不幸な家庭に育ったことは、誰にも、わかることだったからだ…  だから、沈黙した…  あたりが、急にシーンとなった…  誰もが、なにか、口にすることが、ためらわれるような雰囲気になったからだ…  だから、沈黙した…  なにも、言わなかった…  が、  いつまでも、誰もなにも、言わないわけには、いかなかった…  と、いうことで、やはりというか…  ここは、一番年長な葉敬が、口を出した…  「…ということは、リンさんには、失礼だが、リンさんは、あまり、家庭に恵まれなかった?…」  と、聞いた…  ずばり、直球で、聞いた…  葉敬のあからさまな質問に、リンは、無言で、首を縦に振って頷いた…  それを、見て、葉敬は、  「…では、さっき、リンさんが、言った、アラブの至宝と呼ばれる、アラブ世界の実力者と会いたいのも、もしかして、リンさんの家族と関係があるの?…」  と、優しく、聞く…  その問いにも、リンは、無言で、頷いた…  それを見て、私とアムンゼンは、またも、互いの顔を見合わせた…  おそらく、このリンの家族が、アラブ世界で、囚われているとか…  あるいは、リンの家族が、どういう形か、わからないが、アラブ世界と関係がある…  例えば、リンの家族が、囚われていて、その家族を開放する条件として、アラブ世界のなにかが、必要となる…  それが、アラブの至宝と呼ばれる、アラブ世界の実力者と知り合いになれば、可能になる…  そういうことでは、ないか?  私は、思った…  思ったのだ…  そして、それを、見て、  「…わかりました…」  と、アムンゼンが、言った…  アラブの至宝が、言った…  「…オスマンさんを紹介しましょう…」  と、言った…  すると、リンより先に、  「…それは、ホントかね?…」  と、葉敬が、言った…  喜色満面の笑顔で、言った…  「…ハイ…ホントです…」  アムンゼンが、答える…  が、  答えながらも、アムンゼンは、葉敬の顔を見なかった…  リンの顔を見ながら、言った…  「…ボクで、良ければ、微力ですが、リンさんのお力に…」  と、言う…  アラブの至宝が、言う…  そして、いつのまにか、アムンゼンが、リンの手を握ろうと、リンの手に、自分の手を伸ばした…  握手しようとしたのは、明らかだった…    火を見るより、明らかだった…  が、  その手を、マリアが、ひっぱたいた…  思いっきり、ひっぱたいた…  そして、  「…その手は、なに?…」  と、怒鳴った…  アラブの至宝に怒鳴った…  「…いや、これは…」  アムンゼンが、戸惑った声で、言う…  「…だから、その手は、なんなの!…」  マリアが、続ける…  アムンゼンは、言葉もなかった…  ただ、黙って、マリアを見た…  「…」  と、黙って、マリアを見たのだ…  そして、その危機を救ったのは、意外にも、葉敬だった…  マリアの実父の葉敬だった…  「…マリア…アムンゼン君を叱るのは、やめなさい…」  と、やんわりと、マリアをたしなめる…  そう、葉敬に言われると、今度は、マリアが、黙った…  「…」  と、黙った…  いかに、マリアといえども、父親には、逆らえないのは、明らかだった…  「…そんなことより、それは、本当かい?…」  と、アムンゼンに聞く…  「…それは、本当とおっしゃると?…」  と、アムンゼン…  「…今、アムンゼン君が、リンに、オスマンさんを紹介すると、言った話だよ…」  葉敬が、アムンゼンに身を乗り出して、聞く…  アムンゼンは、葉敬のあまりの熱意に圧倒されながらも、  「…ハ、ハイ…」  と、小さく言った…  それを、聞いた葉敬は、すかさず、  「…だったら、そのオスマンさんを私にも、紹介してくれるね…」  と、続ける…  アムンゼンは、誰が、見ても、嫌な様子だった…  だから、助けを求めるように、周囲を見た…  私やバニラや、マリアを見た…  しかしながら、ここで、アムンゼンを助けるものは、皆無…  皆無=誰もいなかった…  しかも、マリアは、怒った顔で、アムンゼンを見ていた…  アラブの至宝を見ていた…  だから、アムンゼンは、諦めた…  自分が、この場で、孤立無援な立場で、あることを、悟った…  「…わかりました…葉敬さん…オスマンさんを紹介します…」  と、言った…  力なく言った…  「…それは、ありがとう…」  と、葉敬が、アムンゼンの手を握って、喜んだ…  傍から見ていて、恥ずかしいほど、喜んだ…  が、  その姿を見て、リンが、ニヤリと笑った…  ごく一瞬だが、ニヤリと、笑った…  唇だけで、笑った…  私は、それを、見逃さんかった…  見逃さんかったのだ…                <続く>
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