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結末、並びに結びの一言
私は家に帰ると、当然家人にえらく心配されました。兄たちと父は警察を呼ぶかと騒ぎ立て、女性たちと使用人は怯え、甥っ子たちは怖がって今にも泣きだしそうでした。私は帰りに野良猫に襲われたのだと言い訳して、家内に手当てを頼みました。
もちろん、彼女は私が下手な嘘をついたことを見抜いておりました。ですが私は、本当のことを話してくださいと訴える彼女を退けました。退けざるを得ませんでした。様子を見に来た兄たちにも警察は必要ないと告げ、私は食事も取らずに床に就きました。ですが、こんな一日の後ですから、私はろくに眠れませんでした。少しでも睡魔に身をゆだねれば、彼らはたちまち牙を剥き、この日に見、聞いた様々なことを映像に直して私の脳裏にぶちまけました。目を開けていたらそれはそれで、あれやこれやの光景が頭の中を飛来します。起きながら悪夢を見ているようなひどい夜でした。
結局私はろくに眠れないまま、家人の誰よりも早く床を出ました。一時間もかけてのろのろと身支度を整えてもなお、朝食までには時間がありました——私は何をする気にもなれず、そっと部屋を出て食堂に降りました。使用人たちは皆、心配そうな顔で私に頭を下げました。私は彼らに大丈夫だと告げて簡単な朝食を出してもらい、味もよく分からないまま飲み込んで家を出ました。
私は電車に乗り、喫茶ルミヱールのある駅で降りました。そこそこ大きな駅でしたが、朝早くから勤めに向かう人々がまばらに行きかうばかりであたりは閑散としています。私は開店準備すら始まっていないルミヱールの前を通り過ぎると、重い足取りで住宅街の中に入っていきました。私も北村君と同様、あんなことがあったにもかかわらず、蒼翅君のことが気がかりで仕方なかったのです。
私はのろのろと、いつもの倍の時間をかけてようやく蒼翅君の家のある通りにたどり着きました。するとそこには人だかりができていて、皆が首を伸ばして蒼翅君の家の方を懸命に見ようとしているではありませんか。中には警察官の姿も見えて、私は胸騒ぎを覚えました——私はすぐさま人垣をかき分けて蒼翅君の家の前まで行きました。
どうにか家の正面にたどり着くと、見張り役の警察官がひとり、私をじろりと睨んで
「ここは立ち入り禁止です」
と言いました。人だかりの最前列のほとんどは記者の連中らしく、中には警察官と激しく口論しているやつもおりました。私が分かっていると頷くと、警察官は無言で頷き返して、他のところを睨み始めました。私は隣にいた、住人と思しき男に何があったのかと訊きました。
彼が言うことには、未明ごろ、隣の家の住人が便所に立ったときにこの家の庭で人が倒れているのを見つけて警察を呼んだということでした。駆けつけた警察はそこで、作家・蒼翅碧花がうっすら雪を被って倒れているのを見つけました。その傍らには、上半身を土から出した一体の白骨があったと言います。
それに、と、そこで彼は声を一段落として私に耳打ちしました。
「そのお隣さんが言うには、蒼翅碧花はすっからかんに干乾びていたそうなんですよ。もう長いこと死んでいたかのように皮膚が茶色く変色して、手足は木の枝のようになっていて。それが骸骨の頭を抱くような格好で倒れていたって話です」
「そんな、まさか! 蒼翅君はたしかに体調は優れないようだったが、昨日まではちゃんと生きていたんだよ?」
私は思わず反論しました。
「私はね、一昨日、昨日とここを訪れて実際に中に入ったんだ。蒼翅君とも会って話をした。昨日の夕方別れるまで、彼はいたって普通の人間だったんだ。生きた人間がたった一夜で、すっからかんに干乾びてしまうなんてことが果たして本当に起こり得るかね? それに、彼と一緒に住んでいる青年だって……その青年も、私と話している間は普通の人間だった。少なくとも、私が見た限りでは」
彼はひどく驚いて、それこそあり得ないと言って眉を跳ね上げました。私がそのわけを聞くと、彼は困惑しながらもこう教えてくれました。
「俺はここの近くに住んでいて、ここの前も毎日通っていますけど、ここ何か月か、この家はずっと静かで物音ひとつ立てなかったんです。それに夏の終わり頃からずっと、ここに人が出入りするのを見た奴はいません。一昨日も昨日も、誰もここを訪れてはいないんです」
***
以上が、作家・蒼翅碧花が死体で見つかるまでの二日間の記録です。
ことがあまりに奇っ怪であるために、私はこの一年間、このことを誰にも話しませんでした。そしてその奇っ怪さゆえに、この手記を公表することもしないでしょう。
ですが、私の頭は、たった一年という時間の中で早くもその詳細を忘れ始めています。このおぞましくも悲しい愛憎の顛末が、時が過ぎる中でひとつ、またひとつと私の脳からこぼれ落ちていくのです——私は、この物語を私の中だけにとどめておくのは困難だと考えました。少しでも鮮明に覚えているうちにこれらの出来事を書き留めることが、私が彼らにしてやれる最後の仕事だと思ったのです。
かくて私は筆を執りました。蒼翅碧花がいつの間に木乃伊となってしまったのか、北村瑤がいつから椿の下に埋められていたのか、世間では未だに様々な憶測が飛び交っています。ですが、誰の目に触れずとも、二人の真実はこうして世に残されています。それは人を化かすほど強烈な愛憎にしか成し得ない、一つの幻の顛末なのです。
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