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凄いぞ縄文、凄いぞ日本語!
縄文人はグルメでした。いつ、どこで、何を取って食べれば一番美味しいか知っていました。そのために目を凝らして、ひたすら自然を観察したのです。
ゼンマイは湿地に春の真ん中、芽吹の頃に取る。百合根は新芽がスッと出てきた頃が、一番美味しい。筍も、ふきも、きのこも、一番美味しい時を知っていました。
バフンウニと紫ウニは卵のシーズンが違う。「藤の花が咲いたらタイを取れ」「桜が咲いたらはメバル」「ヤマユリ咲いたら鮎」春一番に遠浅の海で潮干狩り。あの貝塚の貝は、そうやって旬の一番美味しい時にいっきに取るのです。
そうやって自然と共存共生する「縄文人=日本人」が育っていきました。
日本語の特徴の一つオノマトペ。これは自然との共感共鳴から生まれました。
小川は「さらさら」流れる。風が「そよそよ」吹く。それは風がそういう音を立てているのでなく、風が私たちにそう「囁いてくる」と感じる。
「ツクツクホーシ」「ブッポウソウ」「テツペンカケタカ」と語りかけてくる。
音では無いのです、それは「精霊の声」なのです。
全てのものには、人と同じに魂があると信じていたからです。
これぞアニミズム(アニメーションの語源)日本人の得意技。日本の漫画はオノマトペだらけ。「無音」にさえ、オノマトペをつけた。(シーンは手塚治虫発明)
こうして日本人は、ありとあらゆるものを「日本語」に変換していきました。
世界で全ての虫に名前をつけて、その鳴き声を聞き分ける国民は、日本人くらいだそう。アブラゼミと、ミンミンゼミと、ヒグラシの区別は日本人なら簡単ですが、海外だと「虫」で終わり。名前もなく、その鳴き声は「ノイズ」にすぎません。
「チンチロリン」のマツムシ「リンリンリン」のスズムシ「キリキリキリ」コオロギ「ガチャガチャ」クツワムシ「チョンチョンスーイッチョン」ウマオイ。
全てオノマトペのこんな歌作るの、世界中で日本人だけでしょう。
海外で「詩歌」といえば恋愛もの。でも「古今和歌集」は、恋愛1/3、四季の自然1/3。自然を歌うものがすごく多い。これが日本人の文化的DNA(ミーム)なのです。
さて、その縄文時代が終わる時が来ました。中国で、秦の始皇帝が暴れていた頃(紀元前220年)国を追われた難民が、大挙して日本に逃げてきました。弥生時代の始まりです。
弥生人に追われて、縄文人は沖縄と北海道に追いやられ、残りは混血しました。
卑弥呼の時代(3世紀・古墳時代・三国志の頃)から、地方豪族の出現、国家形成の機運が高まり、ついに列島規模の政治的構造、大和朝廷の樹立をはたします。
この時、すでに国家体制の整った中国をお手本とし、律令制と都城制を採用し、具体化。中国との大きな距離を一気に縮め、独立国として日本は国際舞台に参入します。
7世紀末〜8世紀にかけて「古事記」「日本書紀」が書かれます。それも漢字で!
それまで日本語には一切文字と言うものがなく、音声による口承でやってきたのに。 日本に中国の漢字が入ってきたのは、弥生時代。国家体制の確立に必要となる「古事記」「日本書紀」編纂のため、大和朝廷は漢字文字採用を決断します。
しかし大和言葉を漢字で表記するのは至難の業。
その困難を、音読みと訓読みに使い分け、漢字の味をそのまま大和言葉にすり合わせる工夫をし、万葉仮名、カタカナ、後にひらがなを加え、今に至る「日本語」を作り上げたのです。
……ここまで書いて「これ、どっかで聞いた話だな?」と気づく。
そう、「明治維新」。アメリカの圧力と帝国主義への危機感から、新・天皇制の成立、国家体制の整った西欧諸国を手本に、世界との距離を一気に縮めて国際舞台に参入。その時英・仏・独語を日本語に変換し「新しい日本語」を大量に作ってる!
全く新しい概念を表現するには、新しい言葉を作るしかない。「自由」「平等」「経済」「郵便」「鉄道」「科学」「会社」漢字の味を使い作られた新たなる「近代日本語」を使って、私たちは新しい世界を学び、世界に対峙していったのです。
日本人は1300年も前に、明治維新に近い奇跡を既にやっていた。
何という適応力! 常に周りを観察し、自然に合わせて歩んできた日本人の本領発揮です。
「寂しい」「うら悲しい」「もったいない」「甘える」全て英語には無い言葉です。
こうして日本語は【森羅万象、表現できないものなど無い】と言わんばかりの語彙を誇り、今も毎年新しい言葉が生まれ続けているのです。
漢字による「近代日本語」は後々中国で近代化をすすめる際にそのまま転用され、本家の中国の人に大変感謝されたそうですよ。
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