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『ハヤリノカゼニカカリ、ウゴケヌ。マツリイケナイモヨウ。スマナイ』
という走り書きの手紙が届いたのは、秋祭りの前日だった。
「主役が欠席? うそだろ!」
ヘンリクの父はモス村の村長で、祭りの責任者でもある。手紙を読むなり、馬車に飛び乗って隣村へと向かった。長男のヘンリクも同行する。
ここ『鏡の湖水領』は、王国で最も美しいと言われる土地だ。とりわけ秋は素晴らしい。領内に点在する湖はにぎわしい夏を終え、穏やかな色をたたえている。それを取り巻く森の木々はあざやかに色づく紅葉をまとって、晴れ着姿の貴婦人のようだ。その貴婦人がたの足元を、二人を乗せた馬車は駆け抜けた。
父は、隣村に滞在する背の高い猟師を代役にと考えたのだった。だが。
「もういない?」
「禁猟期間が明けたからね。山に戻っちまったよ」
宿屋の中から、父の騒ぐ声が聞こえてくる。外で馬の面倒を見ていたヘンリクもうめいた。
秋祭りでは毎年、モス村の伝説にちなんだ『ドラゴン退治』の劇が上演される。といっても小さな村なので、役者も演出も村人ばかり。素人演劇に毛が生えたようなものだ。
ただ、主役の騎士は問題だった。村には伝説の騎士のものだという鎧が残っているが、それがやたらと大きく重いのだ。しかも、神聖な騎士の役には台詞がない。しんどい上に面白みもない役なので村人からは敬遠されて、いつも外部に役者を頼んでいた。その役者が来られなくなってしまったのである。
「もう、丸太にでも着せておくか……?」
ヘンリクは天を仰いだ。そのとき、蹄鉄の音が聞こえてきた。振り向くと、行商人の馬車が入ってきたところだ。このあたりで薪などを集めて、街に卸すのだろう。
空のはずの荷台に、誰か座っている。ヘンリクは目をみはった。
「さあ旦那、悪いがここまでだ。この先は乗合馬車を使ってくれよ」
「助かった。かたじけない」
荷台から降りてまっすぐ立ったその姿が、大きかった。齢は四十くらいだろうか、腹回りが少々太めだが、それも貫禄と言えるような雰囲気のある男だ。旅行鞄を一つ提げ、あたりを見回していた男はすぐにヘンリクと目が合った。
「君、ちょっと教えて欲しいのだが……」
近づいてきた男の腕を、ヘンリクはがっしとつかんだ。数秒後、宿から出てきた父が「ヘンリク、離すなーっ!」と叫びながら突進してきた。
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