冷静な男!?②

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冷静な男!?②

ノーブルな見た目に反して砕けた話しかたをしていたロイド眼鏡は、教卓の真正面に座っている『じゃばら』のボケ担当の上岡に向って妙な質問をしたのだ。 「えーっとこちらは『男女我実語教(オメガじつごきょう)』と言ってですね。明治時代初期に発刊された、いわゆるΩの取り扱い教科書のようなものです。その本ではモニターの文章にもありますように、Ωのヒートは大体十二歳前後からはじまって、男女我の春——つまり十六歳の思春期でピークを迎え、だいたい二十五歳には消失するとあります。はい、ではここでΩでもある上岡くんに質問です。だいたいでいいのですが、十代のΩの妊娠確率って一体何パーセントになると思いますか?」  ずいぶん込み入った質問だと思った。というか、テレビでこんなセンシティブな質問普通するか?しかもΩ相手に。  可哀そうに、さっきまであんなに威勢の良かった上岡の耳たぶが、後ろからでも分かるほど朱の色に染まっていく。  10代の頃別のコンビを組んでいた上岡は、αだった相方の子どもを降ろしたと一時期マスコミに騒がれ、姿をくらましていたことがある。しかし笑いが捨てられなかったのだろう。再び笑いの世界に戻って来た上岡は、ツッコミのβ佐藤と新しいコンビを組み、今年正月に行われた上方新人お笑いコンテストで初タイトルを獲得していた。 「さ、さぁ……な。何パーセントやろ」  急にしどろもどろになった上岡に、佐藤が「真面目か」と突っ込んでいる。ここは上岡が自らをネタにして笑いに変えるなどしたらまだ救われたが、唐突に痛い所をつかれて動揺してしまったのがバレバレだ。これでは自ら「噂は本当だった」と言っているようなものだった。  さっきの和気藹々とした空気が一変し、動揺する上岡をみつめるロイド眼鏡の奥がひそかにほくそ笑んでいるように見えるのは優人の見間違いだろうか。  なんか嫌だな、と優人が不穏な空気を即座に感じとっていると、わざとらしくロイド眼鏡は息を吐き、上岡くんが答えられないようなので代わりに僕が答えますね、と言った。 「正解はですね、たったの40%です。ただこれはΩがヒートの時の場合に限ります。平常時の妊娠確率はさらに下回りますし、当然これは健康なαとΩの場合の数値でして、その能力は年齢とともに低下し回復しません。ちなみに先ほどの授業でもありましたが、αやΩの遺伝子をもつ子はΩからしか産まれませんので、この二つの遺伝子を持つ人口が極端に少ないのはその為です。そう考えるとΩが子どもを産むというのは奇跡に近い。だからこそ私達はその奇跡的にできた命を守らねばならない。それなのにその尊い命を宿主の自己都合で絶つなど言語道断。それは殺人と一緒だ。許されざる行為だ。……そう思いませんか?上岡さん」  ロイド眼鏡は真正面から上岡を見据えるとにこっと笑った。  だが目の奥が怖い。怖すぎる。正直全然笑っているようにみえない。  蛇に睨まれたカエル状態になり、急にカウンターゼロになった上岡に焦ったのか、佐藤がセットを囲むスタッフを見渡した。しかしスタッフは静止するどころか、これからどうなるかという好奇心いっぱいの面持ちでそのやり取りを見守っているだけだ。 —あー……なるほど。そういうかんじね  最近ではめっきり見なくなったが、少し前までは撮れ高を重視してなのか、よくこうやってΩが責められる状況をわざと作って、Ωを下げて笑いを取るような番組がままにあった。こういう時Ωは自虐に走るが怒るかしないと場はおさまらず、昔は優人も随分悔しい思いをしたものだ。 仮に今この状況で上岡が女性だったら。スタッフはもっと早い段階で撮影を止めているだろう。男女間での古臭いジェンダーの押し売りは今や当然のようにタブー視されているからだ。しかしこれが母数の極端に少ないΩ相手だと、そのハードルはとたんに低くなる。いくら子どもが産めても性別が男だから何を言ってもいいと思っているのか。それともΩは太古からαを惑わす化け物だと言われているから、ぞんざいに扱っていいと思われているのか。その論争は流行病のように突然浮上してはたち消えて、結局は曖昧になったままでよく分からない。  けれど今これだけは分かるのは、優人がこの弱い者いじめのような現状をひどく不快に思っているということだった。 ―あのクソ眼鏡。ぜってーαだ  よく見るとロイド眼鏡はいかにも高級そうなスーツを纏っており、顔も悪くない。だがそれが何だというのだ。差別的で傲慢で嘘つきで、自分の能力の高さを鼻にかけているボンボンのクソ集団。その中でもナンバー1クソ野郎は優人の父で、当時十六だったΩの母を口説き落として番にしておきながら、二十五歳で母のヒートが消失した途端他に女をつくって出ていった。 『オメガの美しさは有限だから』  泣いて引きとめる母の手を払いのけ、笑いながらそう言った父の顔を今でも覚えている。当時優人は六歳だった。母はがある時から過剰なダイエットを始めたのは、ヒートを失って自分の体が本当の男になるのが怖かったからなのだとその時知った。  優人は急におかしくなって声を出して笑うと、皆が一斉に優人の方を振り向いた。 優人は不思議な高揚感に駆られていた。 なんとかあのクソ眼鏡をやりこめてやりたい衝動が抑えられなかった。  優人は皆に視線がこちらに集中したのを確認すると、「はいはいはい!じゃー逆に僕から先生に質問です!」と言って椅子を蹴とばすように立ち上がる。とたん、ロイド眼鏡がバツの悪そうな顔をする。案の定事前にスタッフから優人には噛みつかぬよう言い含められていたのだろう。優人が売れているから、たったそれだけのことで自分だけが守られている現状にも益々腹が立ってくる。 「はい柿沢くん、逆に質問とはなんでしょう」  胡散臭い笑顔を向けられ虫唾がはしる。だが優人は腐っても俳優だ。ロイド眼鏡に負けないくらいの笑顔を見せると、首をかしげてモニターの画面を指さした。 「いやさっきからずっと不思議だったんですけどね。このモニターの文章って一体誰目線なのかなって。だってほら見てくださいよ。Ωのヒートを花のつぼみとか盛りの花とか……なんか夢見がちっていうか、ちょっと気持ち悪くないですか?これ絶対Ωのひとが書いてないですよね。だって俺たちからしたら十代後半は盛りの花なんかじゃない、ヒート地獄だ。きっとこれはヒートを他人事だと思っているひとが書いている。違いますか?」  優人が言い放つと、周りは水を打ったように静かになった。ロイド眼鏡はすかさず反論しようと口を開くが、番組ディレクターをちらと見ると落胆したように口をつぐむ。  きっと反論のOKが出なかったのだろう。ならば優勢のこちらがもっと攻めるまでだ。 「あれ、反論してこないという事は図星ってことでいいですか?ならもっとぶっちゃけちゃいますけど、これ書いているの絶対スケベなαですよね。Ωのヒートをわざわざ花の一生に例えて品定めして下品を通り過ごして気持ち悪さしかない。しかもそんなめちゃくちゃな文章を載せている本をΩの取り扱い教科書とか言われるの嫌悪感しかないんですけど。ねぇ先生、先生はさっきから上岡くんに対して妊娠確率うんぬん責めていますが、むしろ古くからΩを産む道具とか性のはけ口としか見ていない先生のようなαのおっさん達の方を注意すべきじゃないですか?」  優人が言い放つと、さざ波のようなクスクス笑いが起きると同時に、ロイド眼鏡の顔が面白いくらいに赤くなっていた。いい気味だ。どうせスタッフはお上品で売っている優人がロイド眼鏡をおっさん扱いした画など使えないだろう。だったらいっその事この男の授業ごと丸々潰してやろうと思った。スタッフの忖度を逆手に取ったのだ。 気づくと上岡が潤んだ目でこちらを見ていて、隣の佐藤が頷きながら拍手を始めた。つられるように周りからもパラパラと拍手が起きると、ロイド眼鏡はいたたまれなくなったのか、セットの教室のドアに手をかける。 「先生赤い顔してどこに行かれるんですか……!もしかしてヒートですか!?」  ロイド眼鏡の後ろ姿に向って優人が叫ぶと、どっと周囲から笑いが起きた。ロイド眼鏡が力任せにドアを開け、教室を去っていく。いい気味だと思っていると、今更のようにスタッフからカットを告げる声が辺りに響いた。
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