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10.虹
翌日、激しい雨が去り、代わりにやってきたのは、青空でも虹でもなく、領主からの御触れだった。
『明日より、魔法および音楽を禁ずる』とのことだ。
「今日はひとまず、学校へお行き。テストがあるかもしれないからね」
イザベラはドーラの背中を優しく撫でながら言った。
「わかったわ。明日からのことも聞いてくる」
ドーラが言った。
聞いてくるもなにも、明日以降、魔法を教えている学校なんて閉鎖になるに決まっている。
その場にいた誰もがそう思ったはずだ。
「ああ、気を付けて行っておいで」
イザベラに見送られ、ドーラは扉を開けて、外へと出ていった。
アコーディオンやバイオリンの音は聞こえてこない。
すでに街の奴らは、明日からのルールを守っているらしい。
一晩のうちに、街全体がひっそりと死んでしまったのではないかと疑いたくなるくらい、やけにしんとしている。
それもこれも、恐らくあいつのせいだ。
先日に見かけた、馬に乗った奴らのことを思い出す。
「魔法はともかく、演奏までダメだなんて、どうしてでしょう」
「さあ。お偉いさんの考えることは、あたしにはわからないよ」
「音楽が鳴ってると、一体感があったから……、今じゃまるでバラバラになってしまったみたい。イザベラさん。私、なんだか寂しいです」
シャロンが言った。まったくの同意見だ。
「そうだね。音楽がないのは、たしかに辛い。あたしもずっと励まされていたからね。悲しいときも、陽気なあの演奏が流れてくると、なんだか、街がそばで見守ってくれている感じがしていたんだ。……曲を聴くほど、この街のことがさらに好きになった」
そこで俺は、ふと思った。
奴らは、街の人たちが生み出す一体感とやらを恐れているのかもしれない。あり得る話だ。魔法だって、その力や魔術師を恐れた結果、禁止になったというウワサがある。……なんだ、怖いものを次から次へと潰しているだけじゃないか。
そう考えると、馬の上でふんぞり返っていた姿が、妙に滑稽に思えてくる。
まあ、結局のところ奴らの本心なんて、魔猫の俺にはわからない。
「街の人は納得するんですか? 魔法はともかく、音楽もだなんて」
シャロンが尋ねる。
「そりゃ、文句を言いたいやつは多いだろうね。だけど、実際は言えないさ」
「そう、ですよね」
「こないだ話した通り、ここらは昔から災害が多くてね、農作物は育ちにくいし、鶏や羊を飼うのに適した地域でもない。だから、私みたいに針仕事をしている人も少なくない。大きな工場もないこの街で、今の仕事を続けられるのは、隣国とかかわりが深い領主の一族のおかげなんだよ」
俺はなるほど、と思った。
「そういう背景があったんですね」
シャロンがうなずく。
「そうさ。仕事を失くして食いっぱぐれるか、音楽を我慢するか、どちらを選んだ方が賢明なのかは、言うまでもないだろう。まあ、仕方なかったってことだね」
イザベラは淡々と言った。
シャロンは黙って、その言葉を聞いている。
俺は床に丸くなり、街の奴らのことを考えた。
たしかに、たとえ、魔法や音楽がなくなったとしても、食事にありつけるならマシな人生だ。そう、自身へと言い聞かせる。こうでもしないと、どうにも胸のあたりがむかむかとしてしまう。
俺は気持ちを落ち着かせるべく、全身をぺろぺろと舐めた。
二時間ほど経った頃、ドーラが上機嫌で帰ってきた。
「ママ、シャロンさん、聞いて! あ、エリオットも」
おい、俺のこと、おまけみたいに言いやがったな。
「おかえり、ドーラ。どうだったんだい?」
イザベラが聞くと、ドーラは思いっきり胸を張った。
「ぜんぶ、合格よ。ふふ、本当に嬉しいわ」
「良かったじゃないかい」
「おめでとう、ドーラ! 素晴らしいわね」
イザベラとシャロンが褒めたたえる。俺もニャニャンと鳴いて、よくやった、と伝える。
「ありがとう。みんなのおかげだわ」
ドーラはにっこりと笑った。
「ふふ。ドーラが頑張ったからよ」
シャロンが言った。
すると、ドーラはしょんぼりと目尻を下げた。
「……あのね、明日からね、学校なくなっちゃうの」
とっくに想像していたことだが、彼女の口から伝えられると、あの御触れが現実なのだとありありと実感させられる。
「ドーラ……」
シャロンは名を呼ぶことしかできないようだ。
「でもね、私、落ち込んだりしないわ。だって、パトリシアさん言っていたもの。魔法はいつか必ず役立つときがくるから、それまで覚えておきなさいって。今はダメでも、そのときを待てばいいんだわ」
「そうね」
シャロンがうなずく。
「私、忘れないようにするわ。それで、またパトリシアさんに会ったときに、成長を見てもらうの」
ドーラは楽しそうだ。
自分なりに、現実を受け止め、かつ希望を信じているように見える。たとえ、それが子供特有の無邪気さからくるものであったとしても、なんと心強いことか。
「それは素敵ね。きっと、パトリシアさんも喜ぶわ」
シャロンが言った。
パトリシアは、自らが祖母であることを伏せ、ドーラを遠ざけようとしていたようだけれど、どうやら意味がなかったらしい。血の繋がりがあってもなくても、ドーラにとって、すでにパトリシアは特別な師になっているのだ。
他人のことながら、俺はその事実が嬉しかった。
「人前では絶対にやめておくれよ」
イザベラは愛おしそうに娘を見つめながらも、しっかりと釘を刺した。
「わかってるわ。ママ」
「ならいいさ。頑張りな」
シャロンはそんな親子のやりとりを眺めた後、「そろそろ」と言った。
そうだな、いい頃合いだ。
「ここを出ようと思います。イザベラさん、ドーラ、ありがとう」
「えー! もっといればいいのに。あ、湖水の花、探しにいくの?」
ドーラが尋ねる。
「ええ。おかげさまで、少し情報も得られたから」
「じゃあ! 私、次に会う時までに、もっと魔法を上達させておくわ」
「ええ、楽しみにしてるわね」
シャロンがほほ笑む。
「エリオットも、またね」
ドーラは俺を抱き上げて、ぎゅうっとハグをする。頬をすりすりしてくるところまでがワンセットだ。まったく、ここに来てからこいつのせいで、何度、毛並みが崩れたことか。そう思いながらも、俺は高らかにニャオっと鳴く。
「あっ」
シャロンが声を上げた。
「おや、虹だね」
イザベラが言った。
空には、七色の虹が浮かんでいた。
「凄いわ! 虹、見るの久々よ」
ドーラがキャッキャと声を上げる。
「ふふ、いい出発だわ。なにか、いいことが起こりそうな気がするもの」
シャロンが言うと、ドーラは「本当ね!」と言って笑った。
俺もニャーンと鳴きながら、ドーラの腕からシャロンの肩へと飛び乗った。
完
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