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 十字路の真ん中に変な人がいた。  予定のない土曜日の空があんまり晴れてるもんだから本屋さんでも覗こうかなと外に出て、ひとつ目の交差点だ。  ひとりの女性が四方に伸びる道路のどれにも進まず、ただ同じ場所でぐるぐると回っている。  両手はゾンビのように空中に彷徨わせ、足取りはゾンビのように覚束なく、視線はゾンビのように焦点が合っていない。ほぼゾンビだ。  なんだか不気味なので避けたいところだが、本屋に行くにはここを通るしかない。急に噛みつかれないか警戒しつつ私は歩みを進めた。 「あれ」  気付かれないよう横を通り過ぎようとしたとき、女性がこちらを向いた。 「あの、人間ですか?」 「こっちのセリフなんだけど」  思わずツッコんでしまった私に「あ、すみません」と女性は小さく頭を下げる。そこから上がってきた顔を見るに、私と同じくらいの年齢のようだ。 「実はコンタクト落としちゃいまして」 「え、うそ。踏んでないですか?」 「あ、大丈夫です。ソフトなんで」 「絶望じゃん」  慌てて足元に目をやった私に彼女は気遣うような言葉をかけてくれるが、なにが大丈夫なのか。  ハードレンズならまだしもソフトレンズなんて落としたらどうしようもない。 「しかも両目とも」 「逆にすごい」 「だから今なにも見えなくて」 「え、私のことどんな風に見えてるんです?」 「人の形に塗り潰された水彩画」 「めちゃミステリアスなんですけど」  常日頃ミステリアスな雰囲気の女になりたいと思っているがこういうのじゃない。  彼女の顔が私のほうを向く。しかし目が合っているわけではない。どこが私の目なのか、はっきり見えていないのだろう。  私もかなり目が悪いので気持ちはわかる。裸眼で外に放り出されたら家に帰れる自信がない。 「あー……送りましょうか?」 「え、いいんですか。会ったばかりの人にそんなこと」 「いいですよ、ヒマですし。私も視力悪いんで気持ちもわかるし。家どこらへんですか?」 「えっと……あの」  家の場所を尋ねると、彼女は言葉を詰まらせた。  なにか言いよどんでいる態度を不思議に思っていると、おずおずと彼女は口を開く。 「あの、行きたい場所があるんです」 「行きたい場所? 家じゃなくて?」 「はい。家に帰ってたら間に合わなくて」  どこか怯えた小動物のようだった彼女の声に揺るぎないものを感じた。  焦点の合わない目に、ゾンビにはない光が宿る。 「わたし、約束を破らなきゃいけないんです」 

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