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壱
「涙を流すんだそうだ」
皺は多いのに姿勢の良い老人はそう言った。
「観音像がですか?」
マリア像ならよく聞く話だと思いながら男は再度尋ねた。
「ああ。そして三日の内に人が死ぬんだとか」
「それはまた奇異ですね。村の名は?」
「金色村。隠れ金山があるとかないとか」
すべてが曖昧だった。しかし、だからこそ男は胸を踊らせた。
「場所はご存知ですか?」
「いんや、誰独り。ただ、村を守っている狛犬が目印だとか」
誰も知らないのにヒントがあるところは伝承が伝承たる所以といえた。質素な話は年月と共に装飾を身にまとう。
「狛犬ですか」
「ああ。それも二頭の吽形だそうだ」
「吽形だけ、ですか」
初めて聞いたと男は思った。獅子の狛犬と言えば、普通は阿吽が対だ。
「あんた行く気かね」
「そうですね。放浪の途中、ここでお話が聞けたのも何かの縁でしょう」
男は放浪と言ったが、実際はただ道に迷っていただけだった。
「物好きだなあ」
話した当人はたいして興味もなさそうに、男が目指そうとしている山並みに目を向けた。
「おにぎり、ありがとうございました。助かりました」
自分の水筒をあおった男は、老人と一緒に座っていた倒木から立ち上がると尻をはたいた。
「なーに、散歩中の独り飯だ。話し相手ができて良かったよ。んじゃあ、気いつけてな」
「はい。楽しいお話、ありがとうございました」
獣道に向かう男の背に、老人が声をかけた。
「そっちは、あんたが来た方角だよ。村を目指すなら、あっちだ。そういや、あんた名は?」
「ああ。私は天津と言います」
踵を返して反対の道を進んだ天津は、振り向かずに少し声を張って答えた。
「そっか。んじゃあな先生」
天津は老人の言葉に足を止めて振り返った。
「私は先生なんかじゃ」
並んで座っていた倒木に、もう老人の姿はなかった。
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