ダヴィデには悪女がわからない【電子書籍配信中】

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 二人で肩を並べて庭を歩きながら、マルガリータが切り出した。 「きっかけは、夜会の席でとある貴族の令息が、私の従姉妹に手を付けようとしたことなんです……」  慣れぬ酒をすすめられ、前後不覚に陥った従姉妹が、男にどこかへ連れられていくのをマルガリータは目撃してしまった。  従姉妹が結婚間近なことを知っていたマルガリータは、これは何かの間違いで、少なくとも本人の意思とは無関係なことが行われていると気付き、大声で騒いで事を荒立てたのである。  しかしその場では、「卑しくも、正体を失うほど飲む女にも非がある」と従姉妹も責められてしまい、その体面を保つために両成敗のような形で有耶無耶に終わらせることになった。  それ以降、恥をかかされたと逆恨みをした男は、標的をマルガリータに移したのであった。 「ありもしない話が、次々と飛び出しました。私が社交界に顔を出すと、誰彼構わず色目を使うと言われ……。噂が噂を呼んで、好色な女と蔑まれるようになり、婚約もまだの私には足元を見たような縁談ばかりが舞い込むようになりました。傷物をもらってやるのだから、ありがたいと思えと」  二人が歩く道は、見晴らしの良い場が選ばれ、声が届かぬところには屋敷の使用人たちが配置されている。建物の中からも監視はあり、間違いなど起こりようもない状況であった。  これを提案したのはダヴィデであり、マルガリータも「お好きになさってください」と同意していた。  それはいささか投げやりでもあり、噂話に汚された身ではもはや何もかもどうでもいいという諦念が滲んでいた。言葉の端々にも、ダヴィデが自分を信じると思っていない節がありありと感じられる。 (なるほど、ぶん投げている、か。他人に期待する気持ちがまったく感じられない)  ダヴィデは「男の嫉妬や逆恨みからの報復は存外陰湿です、嫌な奴だ」と共感めいた言葉を言うつもりはなかった。男や女という話でもなく、胸糞は等しく胸糞なのである。  一方で、傷ついたマルガリータに対して「それは大変でしたね」と気休めを口にすることもできない。マルガリータの言葉だけを、いまこの場で全面的に信じることはできないからであった。  同情をひこうとしている態度にも思えないが、なにしろダヴィデには悪女がわからない。  もしかしたら、しおらしい態度にほだされて、コロッと騙されているだけという恐れもあった。  どうしたものか、と思いつつも初志貫徹、当初の目的を果たすことにした。 「話はだいたいわかりました。婚約ということでよろしいですか。結婚はいつにしますか?」  マルガリータが、足を止めた。二、三歩進んでから振り返ったダヴィデを見上げて、驚愕を通り越した怒りを瞳にたぎらせながら、早口で食って掛かる。 「本当にわかっていますか? ふつう、面倒事を避ける意味でも、私のような女は拒否するでしょう。急いで結婚なんてしようものなら、婚前交渉で婚約者以外の相手の男の子を孕んでいたのをごまかすためだなんだと言われますよ? 托卵ってご存知です?」  サミュエルが口にしていた通りの言葉を聞き、本人の耳にも届いているのか、と彼女に対するいじめの周到さにダヴィデは怒りつつも、顔には出さなかった。 「では、結婚は急ぎません。ただ、俺にはこの縁談を避ける理由は特にないので、進めたいと思います。あなたには、断る理由はありますか?」  理由……とマルガリータは呟いてから、ひどく言いにくそうに口を開いた。 「体目当て……で、婚約期間に散々弄んでから、捨てられるのかと思いました。他の男とも遊んでいたとか、噂に悪ノリしたようなことを言われて」  ダヴィデは、自分の頭の高さに手をあて、それをすっと空気を切るようにしてマルガリータの頭上へと移動してみせた。 「体を弄ぶのは、もう少し大きくなってから」 「私は子どもではありません。これ以上身長が伸びることはないかと」 「わかりませんよ、諦めなければ伸びるかも。ひとまず、一年くらいは手を出さずに様子を見ることにしましょう。ついでに、部下が退社することになりまして、ビジネスパートナーを探しています。しばらく一緒に仕事をするというのはどうですか。結構ブラックなので、男と遊んでいるひまないですよ」 「ブラックだとわかってらっしゃるなら、改善なさっては」 「従業員はこき使ってません。経営者が倒れかけているだけです」    率直な現場の状況を伝えたのに、マルガリータは困ったように眉をひそめて考え込んでしまった。  そして、どうしてもわからない、といった様子で呟いた。 「いったい、あなたは何がしたいのか……」  独り言のようにも聞こえたが、ダヴィデは真剣にその問いを吟味して、慎重に答えた。 「俺は、自分の意思で行動したいのです。生きていると、自分では選べないまま、ただ決められた状況に放り込まれただけというのが、多々あります。今回のような政略結婚も、そうですね。ですが、こういう本来自分の意思を交えようのないところに『自分の意思で選んだ』という意識を持つだけで、その後の人生が全然違うと思っています。単純に、パフォーマンスが上がるんです。これはすべて、自分がやりたくてやってることだって、自分で納得ができるから」 「選んだんですか? 押し付けられただけではありませんか? 政略結婚とも言えない親同士が決めた縁談ですよ?」 「俺は、選んでますよ。あなたが俺の婚約者だとして、ここから最大のパフォーマンスを上げるのはどうすれば良いのか? あなたの気持ちはどうにもできないけど、俺は俺の意思であなたを愛することはできます。そうすると、ある程度のことが円滑に進むでしょう」  マルガリータは、またしばらく考え込んでから、ダヴィデに問いかけた。 「どうして私のことを、そこまで愛してしまったんですか」 「まだそこまでではないです。でも、死ぬときには『わが最愛の妻』みたいな詩をたくさん書き殴って、あなたに看取られながら死ぬのが幸せ、そのくらいの愛を育む予定ですね」 「死」 「人間、いつ死ぬかわからないので、早ければ早い方がいいです。できれば今日から始めませんか?」   真剣に言い切ったダヴィデを前に、マルガリータはまたもやしばらく考え込んでから「まだそこまで、あなたを愛せるかはわかりませんが」と断りを入れた上で、愛を前提としているプロポーズを受け入れたのだった。  * * *  

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