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涙の理由
杉田 あやみ。20歳。
泣きたい理由なんて、山ほどある。
怪我をしたままの膝で選手を続けているから膝はずっと痛い。
それをかばって痛めた椎間板ヘルニアの腰も痛い。
あちこち痛いから気が付かなかったけど、卓球台にぶつけた右手の手首もずっと痛い。
今日、その手首の痛みが余りにひかないので膝と腰でかかっている整形外科にいったら、手首の骨が骨折していると言われた。
もう、ずれたままくっつきかけているので、変形したままだけど、どうする?と。
あちこち痛すぎて、骨折に気がつかなかったのは今回が初めてではない。
高校生の時にも両足の脛骨が痛くて、あまりに痛みが続くので医師に報告したときにも疲労骨折していたのに、治りかけるまで我慢していた。
手首の変形。そんなことはどうでもいい。もう治りかけているんだったら。
でも、そんなことで泣けるほど、心が緩んでいなかった大学生のあの頃。
だけど、涙を流せば少し心が楽になる事も覚えていたあの頃。
あやみは泣ける歌や泣ける漫画を常に用意していて、それらをきっかけに泣くことを覚えていた。
泣き始めると1時間は色々と思い出して泣くことができた。
頭が痛くなる位泣けば、気持ちは少しだけすっきりして、なんとか毎日を過ごして行けた。
合宿所での生活は一人の自由はないが、3年生になったから一人部屋にしてもらえた。
その頃にはおなかの調子も良くなくて、潰瘍性大腸炎と言われ、肉体的にもハードな体育大学にいるのに、おかゆと温めた牛乳以外は食してはいけないと言われていた。
20歳の毎日を、色々な痛みと戦い、推薦で入った大学の講義と練習をこなすことでしか時間を過ごせない。出かける気持ちの余裕なんてどこにもなかった。
学年が進み、講義に少し隙間ができたから、その間に準備しておいた媒体を使って涙を流す。
少しだけ、辛いことを外に出したら、また、その日の夕方の練習が待っている。
涙を流すことで、気持ちが楽になるから。
高校の終わりころから、辛くても泣けなくなってしまったあやみの涙の理由は気持ちを少し軽くする目的なのだ。
いつの日か、昔のように、少しテレビで感動するシーンがあると、すぐに涙する元の自分に戻れるまで、あと5年程かかるのを知っているのは、きっと今のところは神様だけなんだろう。
【了】
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