暗殺任務と、魔法の書

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暗殺任務と、魔法の書

 任務・隣国の騎士団長を暗殺してくること。  それが師である大魔導士アリエスから、エリスが命じられたたった一つのお仕事である。 「何も余計なことを考えなくていい。ただ殺してこい」  深い湖面のような冷たい青の瞳に、通った鼻梁と薄い唇、人を寄せ付けぬ美貌の持ち主である大魔導士アリエスは、表情らしい表情も無く、そっけなく言い放った。 「えーと?? 無理ですよね??」  エリスはなにかの間違いではないかと首を傾げて、疑問いっぱいに聞き返した。 (お隣の国の騎士団長といえば、「剛勇無双の猛獣」「百戦錬磨の殺戮者」なんて二つ名まみれの超危険人物だったはず。たぶん今現在この地上で敵う人がただの一人もいないで有名な剣豪……ですよね!?)  かたやエリスといえば、駆け出しで下っ端、いまだまともな魔法を使いこなすこともできない未熟な魔法使い。  使える魔法は、小指の先の切り傷に薄皮をのせる程度の治癒魔法と、階段でいうと三段程度の高さを飛ぶ、もしくは浮く程度の飛翔魔法だ。  それ、魔法?  と聞かれたら、自信をもって「はい、魔法です!」とは言えない。 「自然現象の一種かもしれないけど、行使するとすごく精神的に消耗するから、多分魔法の力が働いているんだと、思います」  極めて曖昧ながら、実感として言えるのはその程度。  唯一、人から一目置かれる要素があるとすれば、見た目は二十代後半くらいの美青年ながら実年齢は二百歳とも三百歳ともいわれる大魔導士アリエスに師事している、その一点である。それも様々な偶然と奇跡の末の巡りあわせであり、エリスの手柄は何一つ無い。  ないないないない、無い尽くし。 「どこからどう見ても何一つ誰かに勝てる要素のないわたしに、誰がそんな任務を……?」  飾り気のない侍女姿で、すみれ色の瞳をしたエリスは、細い腕を精一杯広げて鍛錬とは程遠い自分の貧弱な身体を示してみせる。  アリエスは「はぁ」と重苦しい溜息をもらした。  肩を過ぎる長さまで伸ばした黒髪に、紫紺のローブをひっかけた大魔導士然とした威容で、骨ばった手で顔をおさえるモーション付き。 「まったくだ。俺が生きてきた中で最大級の珍事だ。阿呆すぎる。考えられない。馬鹿げている。くそくらえだ」 「お師匠様それ、人に聞かれたらまずい感じの発言です」  アリエスが、ここまでくだけた物言いも珍しい。それなりに慇懃無礼な性格ではあるが、普段は時と場に合わせて発現する程度の理性はきっちり持ち合わせている。  このような暴言を、誰かに聞かれるわけにはいかない。念のため止めるべきかも。そう思ったエリスが視線を向けると、青の瞳に射すくめられた。 「ド阿呆だ、うちの国王陛下は」 「お師匠様、ここ、王宮……」  大魔導士の研究室で、めったにひとは訪れることはないが、万が一ということはありえる。 「それがなんだ。陛下のことなんぞ、生まれる前から知っている。あんなクソガキの何が怖いんだ」  エリスの忠告など気にもかけないアリエスは、御年五十歳の国王陛下をクソガキよばわり。  その深く長い付き合いには首をつっこまないようにしているエリスは、真面目くさった顔を作って問い返した。 「陛下からのご命令なんですか? わたしをご指名というのは」 「お隣さんの殺人兵器団長殿を、陛下が戦の前にぜひ潰しておきたいと。で、暗殺者として適任がいないかって話で、俺が占ったんだ」  表情から感情のわかりづらいアリエスであるが、その引き結んだ唇に浮かんでいるのは、おそらく後悔だ。 (お師匠様の占いって、それは絶対に外れない魔法だから……)  国の政策に関わる、揺るがしようがない何かが出てしまった場合、皆それに従わざるを得ない。  再びの重い溜息とともに、アリエスは低い声で言った。 「よりにもよって、お前が適任と出てしまった」 「お師匠様でもそういう、不調なときってあるんですね。大外れじゃないですか」 「ねーよ。俺はいつでも絶好調だよ。絶好調で間違いなんて一つも起こりようがない状況で占ったよ。そしたら、俺の弟子が殺人兵器を『落とす』って出たわけだ」  出てしまった占いは曲げられないから、正直に奏上したのだろう。  その結果、エリスに任務が下ってしまった、と。 「わたし、よくお皿は落として壊しますけど……殺人兵器団長殿って、成人男性ですよね。それも、噂によれば筋骨隆々で並の兵士の倍以上の体格で背も高くてえーと…………『落とす』? まず、私程度では持ち上げられませんよね? まさか褒め殺しですか?」  面白くもない冗談を口にしたエリスを、アリエスは渋面のまま見返す。  何かを言いたそうな態度ではあるが、飲み込んだ。それから、面倒くさそうに告げた。 「あほなことは考えなくていい。俺ができると言った以上、できるんだろう。明日にでも隣国へ発て。さっさとやってこい」  現実感はない。だが、いかにエリスが超未熟駆け出し魔法使いとはいえ、国家に仕える身である以上「いやです無理です」とは言えない。アリエスができると言っているのなら、できるのだ。  ならば、受けて立つのみ。 「いってきます」  心は決まっていたけど、つまり人を殺してこなければいけないのだ、と思ったそばから手足は今更にがくがくと震てきた。気を抜くと、泣き言を言いそうだった。気合で乗り切った。  その様子を、アリエスは無言で見ていたが、不意に本が山積みになっている机に向かった。山から小ぶりの本を一冊取り出す。 「これを持っていけ。文字を書き込むと、俺に届く。何か伝えたいことがあったら、そこにペンで書け」  エリスが歩み寄り、差し出された本を受け取って開いてみると、どのページにも何も書かれていなかった。 「わたしに、そんな高度な魔法を習得する時間があるんでしょうか?」  聞いたことのない魔法だったので、正直にそう告げると、眉間にぐっと皺を寄せたエリアスが不機嫌そうな声で言った。 「俺の魔力が込められているから大丈夫だ。魔法具だから、使い方さえ間違えなければ誰でも使える。半人前で未熟な魔法使いでもな」  わかりきったことを念押しされて、エリスはひきつった笑みを浮かべた。 「大事に使います。お師匠様の心に、わたしの書いた文章が届くっていうことなんですよね。つ、使いどころが難しいなぁ……」  文章の間違いも字の書き損じも許されない気がして、緊張する。  震える思いで、本を胸にしっかり抱き込むと、軽く首を傾げるように見下ろしてきて、アリエスが言った。 「いざってときに使えないと困る。慣れておいた方がいいから、報告がてら毎日書くように」 「毎日ですか? 見事任務を遂げました! って報告ができない日は、その日見たものとか食べたものの報告になっちゃうと思いますけど?」  そんなこと逐一報告されても、アリエスは絶対迷惑に決まっている。  一緒に暮らしている今ならともかく、旅先から貴重な魔法具を消費してまで伝えるような毎日を送れるだろうか?  不安に駆られて言ったのに、アリエスは「知らん」とうそぶいてふいっと顔を逸らしてしまった。 「お前が生きていると確認がとれれば、俺はそれでいいから」  表情は見えなかったし、声もいつもと変わらなかったが。  心なしか、いつものような突き放す勢いはなくてエリスは大いに戸惑った。 「本当にしょうもないこと、毎日毎日書いてしまうかもしれませんけど」 「しつこい。俺が良いって言ってんだろ」  苛立ったような唸り声で返されて、思わず一歩後退しつつ、エリスはさらに付け加えた。 「お師匠様から、お返事はいただけるんですか……?」 「返事?」  肩越しに、振り返られる。眼光が鋭い。何か物凄く気にさわりまくっているのは気付いてしまったが、エリスは勢いのまま続けた。 「困ったときに、相談できるのかなって思ったんですけど。そ、そういう道具ではないんですね」  胸に抱えた本をしっかりと抱き直し、俯く。後半はほぼ独り言のようになってしまった。アリエスの無言が恐ろしくて、なかなか顔を上げられない。  そのとき、ぽん、と肩に手を置かれた。本当に、触れただけでの軽さでそこに手を置いたまま、アリエスが言った。 「俺に直接届くから……。何かあったらすぐに知らせろよ。相談なら何かしら返事は届ける。もしどうしても俺が必要なら、その時は、どこにいてもお前のところへ駆けつけるから」 「お師匠様、大魔導士じゃないですか……ッ。そんな暇ないの、わかってますよっ」  身近でその仕事ぶりを見て弟子として、エリスが焦って言うと、本当にもうすみませんでしたと平謝りしたくなるほど鋭い眼光にあてられることになった。 「いちいちうるさい。俺が、やる、って言ってんだ。エリスはエリスの勤めを果たせ。俺は俺のすべきことをする。俺のすることに弟子がいちいち口出すな」 「大魔導士様ですもんね……」  万感の思いを込めて、エリスは呟いた。  こうして、魔法の書とともに、エリスは国を発つ運びとなった。  任務・暗殺という重すぎる使命を背負って。  隣国で名を轟かせる騎士団長のもとへと。 

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