紅い森の水虎

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 那沙は目を輝かせながら歩く優李をほかのあやかしたちから隠すように歩いた。異なるあやかしの間に生まれる異種の子は西都では珍しくないが、人間との間に生まれる子供はほとんどいない。人の世と黄泉平坂との乖離が進み、あやかしの町に生きる人間が著しく減ったことが原因だ。かつて西都に住んでいた人間が、大きな罪を犯したという噂も残っている。  優李からはどうしたって人間の匂いがしてしまうのだ。あやかしの中において人間というものは好奇心を引いてしまう。優李を好奇の目にさらしたくはなかった。  優李を気にかけながら暁通りを足早に駆け抜け店に着くと鍵を開けて中に入る。天井で胡蝶がふわふわと漂っている。店の中に異常がないことを確認している那沙に優李が声をかけてきた。 「床の掃除をしたらよいですか?」 「そのまえに優李、あやかしの国で暮らすためにおまえの匂いをどうにかしておこう」  那沙はそういって再び店を出る。 「においって……遙さんに無理をいってお風呂に入れていただいたはずなのですが、臭いますか?」 「おまえから出る人間の匂いだ。あやかしの中には好んで人間を食らうやつもいるし、半妖などという珍しいものを嫌うものもいる。人間の匂いはしないに越したことはない」 「匂いを消すといってもどうしたらいいのでしょうか……」 「東にある商店街に香りを扱う店がある。そこでおまえの香りを消す(こう)を作ってもらおう」 「すごい、そんなこともできるんですね、あやかしというのは本当にすごいですね。驚くことばかりです」   優李の反応をほほえましく思いつつ、那沙は店に鍵をかけた。店のある暁通りを抜け、住宅街も足早に抜けていく。活気に溢れた通りを歩きながら、優李は道の両わきに開かれた出店をきょろきょろと眺めていた。 「売っている物も人間の世界の物と似ているようでどこか違いますね、すごく面白いです」 「そんなに珍しいか?」 「はい! 見ていて楽しいですし、なにより母が暮らした町だと思うと気になってしまって」 「希沙良とは何年ともに過ごした?」 「十年ほどです。母は私が十歳の時に車の事故で亡くなりました。父はもっと幼い頃に……」  視線を落として答える優李に、那沙は長い睫毛を伏せた。人の世で夢を集める那沙は何度か希沙良と会ったことがある。だから、希沙良がなにかを警戒していたことに気が付いていた。もしも自分に何かあったら優李を頼むといわれていたというのに、七年も放っておいてしまった。十歳の幼い子供があの家でどのように過ごしてきたのか、想像するのも辛い。 「この町にいたら、母のことがもっとわかる気がします」 「そうか。気が向けば俺が知っている希沙良の話をしてやろう」 「本当ですか、ありがとうございます! 嬉しい」  カラカラと店先で回るかざぐるまや、涼やかで綺麗な音を奏でている風鈴――優李は那沙が見慣れたその景色のすべてに心を動かされているようだった。素直な娘だ。見ているこちらも飽きないなと那沙は微笑ましく思った。同時に距離を置くべきだと肝に銘じる。いつか、自分は心無い言葉を吐いて優李を傷つけてしまうかもしれない。  夢屋がある暁通りから住宅街、白虎西区の商店街、御所の前を通り過ぎ、西都の東、青龍東区入り口にある(かおり)堂を目指す間、流れていくどこか懐かしい風景に興味津々の優李は前も見ずに、横ばかりを向きながら歩いている。 「もう少し前を見て歩け、危なっかしい」 「ごめんなさい、すごく素敵な町だからつい」 「優李、あまりキョロキョロしていると、迷子になるぞ」  那沙はそういうと、優李の手を握ろうとしてやめる。那沙が持ち上げて手で空を切ると、優李が遠慮がちに尋ねてくる。 「あ、あの、着物の袖を持っていてもいいですか? はぐれないように」 「かまわない」  柔らかそうな手だと思った。ひとを喰らうあやかしに目をつけられたらすぐにでも喰われてしまうだろう。優李が放つ人間の香りは甘いのだ。一刻も早く消してしまいたい。 「はぐれるなよ」 「もう、子供じゃありませんよ。来年になれば成人しますし」 「俺にしてみれば十七などまだまだ生まれたてのひよっこだ」  優李は少し顔を赤らめている、腹を立てたのかもしれない。 「那沙はいくつで大人になったのでしょうか。二百五十年となると……」 「俺は百五十で成人を迎えた。私塾を卒業し、祖父の職を継いで働き始めた。人の年齢に直すと十五歳くらいに該当する」 「人間よりも成人する年齢が早いんですね! 十五歳で独り立ちだなんて」 「どうだろうな。そういうわけだ、決して手を放すな」 「は、は、はい!」  ぎゅっと袖を握りしめてくる柔らかな手に、那沙は思わず愛おしさを感じて首を振った。

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