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はるとであう
「きれいだ」と。
そんな言葉が、隣の席からぽつりと零れた。
確かに俺の隣から聞こえてきたと思う。ここは映画館で、俺はスクリーンに夢中だったから誰が言ったのか、本当に誰かがそう言ったのかは分からない。けれど映画の台詞じゃなかったことは確かだ。
映画に対しての感想だったのだろうか。俺としては、まぁ確かにぼろぼろ泣いてしまうくらいにこの映画はおもしろい。だけど彼…多分男性の声だった…が呟いた瞬間のシーンは特段美しいシーンというわけではなくて、物語に感動こそすれ、映像に魅入るような場面ではなかったと思う。分からない。映画の感想はそれぞれだろうし、俺が美しいと思わなかったところで別の誰かが美しいと感じることもきっとある。それに今は映画に集中していたいし、物語から離れられないし、目からはまだぼろぼろと涙が零れ落ちるから、それも拭かなくちゃいけない。
そうこうしているうちに本編の上映は終了し、エンドロールで余韻に浸り、ぽつぽつと映画館から抜けていく人の気配を感じつつ俺は現実に戻った。その頃にはもう、どこからか聞こえた「きれいだ」という言葉のことはほとんど忘れていた。
そうして、さぁ俺もそろそろ出るかと思い席を立とうとして隣…出口の方向を向くと、ぱっちりと目が合った。青年だ。まだ座っている観客が俺以外にもいたのだ。
向こうも驚いているのだろうか。じいっと俺から目を離さない深緑の色が、穴が開くのではというくらい俺を見ていた。俺もまさかこんなに見られているとは思わなかったのと、彫像かと思うくらい精巧な、それでいて真剣な顔に見惚れてしまったのとで、暫く動くことができなかった。
…すごい、見られている。瞬きすらしない。あ、もしかして人形か?
誰がこんなところに置いていったのかは知らないが、もしかして人形か何かなんじゃないか?でないとこんなにもじっと観察のようなことをされる意味が分からないし、黙ってじいっとしている姿は本当に彫像のようだし、彼?も彼で動く気配がない。
そうして深く息を吐き、ようやっと俺の方から視線を外して出口をちらり。他の観客は皆もう外に出てしまっているようだ。俺は改まって、一応人間かもしれないそれに声を掛けた。彼がそこにいては、俺が一向に出られないからである。それは困る。
「あの…通ってもいいですか」
「………」
視線が動いたので、人形ではないらしい。呼吸もしているし、動作も自然だし…。やっぱり人か、それともめちゃめちゃ精巧なアンドロイドかもしれない。黒髪の隙間から覗く深緑の瞳。
彼の視線は動いたけれど、彼自身が席を立つ気配はまだなかった。
「あのー、出たいんですけど」
なるべく早く、ここから出たい。そしてトイレに行きたい。それからパンフレットを買いに行きたい。
休日に暇潰しに観に来た映画、たまたま時間が丁度良かった映画。それがこんなにおもしろいと思わなかったので、パンフレットはまだ買っていなかった。売り切れるということはないだろうが、それでも早くパンフレットを手に入れてもう一度映画の世界観に浸りたい気持ちが強い。あと結構トイレ行きたい。
「すいませーん。あの…聞いてます?」
「…いいよ」
「え、じゃあ」
「連絡先教えてくれるなら、いいよ」
「………は?」
「はい」
情報の処理を終える前にスッと目の前に差し出された四角い画面。
トイレへのタイムリミットは結構差し迫ってきている。売店にも俺と同じで、この映画をおもしろいと思った観客が皆パンフレットを手にレジに並んでいるかもしれない。本来ならもっと違う方法があっただろう…例えば彼を押し退け強行突破して通路に出るとか、行儀は良くないが隣の列に跨って通路に出るとか。
けれどパンフレットとトイレという単語が飛び交うこの時の俺にとっては実質一択で、この自分からは一向に退こうとしない彫像美青年と連絡先を交換することになってしまった。
それからはほとんどダッシュでトイレに駆け込み、映画館の売店で目当てのパンフレットを買って…そこでやっと我に返る。
「はっ!勢いで知らない変なひとと連絡先交換しちゃった…」
「そうだね、危機感はないね」
「さっきの変なひと…!」
「どうも。パンフレット残っててよかったね」
売店を出て映画館の出口に向かって歩いていると突如また現れた深緑の変な青年。咄嗟に思ったことがそのまま口から出てしまったが彼は一向に気にする様子もなく、何ならはじめから二人で映画を観に来ましたとでもいうくらい自然に隣に並んだ。背が高い。腰の位置が違う。微妙にへこむ。
彼の瞳よりもっと暗い無地のセーターに黒いパンツというシンプルな服装ながら、彼の放つ存在感はすごい。なのにこんなに近くに来て独り言に突っ込まれるまで、俺は彼に気づかなかった。なんてこった。現代の忍者か…!
「あのさ」
「何でしょう、劇場内で通行止めする変な迷惑おにいさん」
「いやまあ、否定はしないけども…きみ思ったよりはっきり言うタイプだね」
「はあ、どうも」
「翠だよ。すいって呼んで」
「はあ…」
翠さん。行動はともかく名前と見た目だけは綺麗なひとだな。行動はともかく。
「きみは新月くん…?いい名前だなぁ。読み方しんげつくんで合ってる?」
「しづきくんですけど。ていうか、個人情報!」
突然名前を呼ばれたことに驚いていると、劇場内通行止め迷惑おにいさん改め翠さんは無言でスマホをひらひらさせて俺に見せてきた。あぁ、さっき連絡先交換したんだった…。させられたとも言うのかな。
「しづきくんかぁ。いい名前。しーくんって呼ぶね」
「ちょっとその距離の縮め方ついてけないです」
「しづきくんさぁ」
「何でしょう翠さん」
「もっかい泣いてみてくんない」
「………」
「ごめん、悪かった。悪かったから、無言で通報しようとしないで」
「そういう趣味はないんで…」
「いやおれは、ちが…わないのかなぁ…」
ううんと顎に手を当て何事かを考える姿もまた絵になるヘンタイ迷惑通行止めおにいさんこと翠さん。彼の背後で頬を赤らめちらちらを視線を寄越す集団は気にも留めず、彼はまた俺を見た。黙っていればきれいなのにな…。
「ねぇしーくん。とりあえず今からさ、どっか飯食い行こ?」
「は?行きませんけど」
行きませんけど。

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