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第一話
妻が、WEB小説サイト『エブリディ』に自分の作品を投稿している。
その、最新作。
タイトルからして強烈だった。
プロローグのサブタイトルも、書き出しの一行目も、タイトルと同じくらい強烈だった。
他の人がどう思うかは分からない。けれど、少なくとも俺にとっては、震えがくるほど衝撃的だった。
※ ※ ※ ※ ※
タイトル:夫を不倫相手から取り戻したい
【プロローグ~私の夫は不倫をしている~】
私の夫は不倫している。
不倫相手は、私より七歳も若い子。
興信所の調査で、身元も分かっている。写真も入手している。
和泉綾さん。あなたが働くコールセンターの、契約社員なんですってね。二十三歳なんですってね。
十五歳も若い子を口説いたのね、あなた。
おっぱいが大きい子ね、あなた。
顔は、可愛いというより綺麗な子ね、あなた。
私は童顔だと思う。三十になった今でも、ひどいときは高校生に間違われる。大学生に間違われることなんて、日常茶飯事。
私のおっぱいは小さい。Bカップだ。
私は身長が小さい。149センチしかない。
そんな私を選んだ夫だから、可愛い系の女の子が好きなのだと思っていた。
でも、違ったのね。
私と綾さんの共通点なんて、どこにもない。身長だって、綾さんは160くらいある。
顔立ちも、おっぱいの大きさも、性格もまるで違う。
私はつまらない女だ。表情が豊かじゃない。「大好き」と、素直に言えない。野暮ったい眼鏡。趣味は読書。あまりお喋りも得意じゃない。
綾さんは、明るくて綺麗な子ね。
あなたと一緒に、色んなところに遊びに行っているのね。カラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったり。美味しいものを食べに行ったり、バーに行ったり。
でも、最後は必ず、ホテルに行くのね。
ねえ、あなた。
あなたは、私よりもその子が好きなの?
私のことは、もう好きじゃないの?
あなたが望むなら、その子と付き合い続けてもいいから。
だから、私を捨てないで。
※ ※ ※ ※ ※
俺が、妻──美由紀の小説を読むキッカケになったのは、昨夜。
美由紀から、使わなくなったAndroidのスマホを貰ったことだ。
俺は小説を読まないが、ビジネス書はかなり読む。紙の本だとかさばるので、もっぱら電子書籍だ。
普段使っているAndroidのストレージが、いっぱいになってきた。そのせいか、操作時の動きが重くなってきた。
「最近、俺のスマホ、動きが重くてさ」
以前に何気なくしたその話を、美由紀は憶えていた。
美由紀は最近、機種変更をした。iPhone。使わなくなったAndroidを、電子書籍用にと俺にくれた。データを全て消して、ストレージを空けたうえで。
家の中では、Wi-Fiでデータ通信をしている。家で電子書籍をダウンロードしておけば、美由紀がくれたAndroidで、いつでもビジネス書を読むことができる。
俺は素直に礼を言い、美由紀からAndroidを受け取った。小柄な彼女の、小さな手から。
結婚して六年。
はっきり言って、美由紀に対する愛情は冷め切っている。完全に、ただの同居家族となっていた。セックスなんて、もう三年もしていない。最中に色っぽい喘ぎ声も出さず、ただ大きめの呼気を発するだけの美由紀。そんな彼女に、もう興奮もしなくなっていた。
だから、当たり前のように不倫もしている。
俺──笹島祐二は、三十八歳。
今の恋人──泉亜弥は、二十三歳。女性にしては割と背が高く、胸が大きい。美人で色っぽい女だ。それなのに、どこか天然で泣き虫。甘え上手。そんなギャップに魅力を感じた。
よくよく考えてみると、俺は、美由紀とは真逆の女と不倫しているんだな。そんなことを自覚した。
美由紀は、背が小さく胸も小さい。童顔で、三十になった今でも大学生に間違われる。ひどいときは高校生に間違われる。インドア派で、家で小説ばかり読んでいる。それ以外の趣味と言えば、窓際にある鈴蘭の植木鉢くらいだ。
俺と美由紀は、職場結婚だった。コールセンターという、運が悪いときは客から罵詈雑言を受ける職場。
そんな職場にいながら、美由紀が泣いたり落ち込んだりするところを、俺は一度も見たことがない。表情の変化に乏しく、彼女がどんなことを考えているのか、さっぱり分からない。クールと言えるかも知れない。
そんな彼女が俺に何かを要求してきたことは、今まで二回しかなかった。
一度目は、俺が美由紀を口説いて付き合い始めるとき。付き合うなら、結婚を前提とした真剣な付き合いがしたい。彼女の望み通り、俺達は交際一年で結婚した。
二度目は、結婚を決めたとき。しっかりと家庭を守ることに集中したいから、専業主婦になりたい。望み通り、結婚してすぐに彼女は専業主婦となり、完璧過ぎるほどに家事をしてくれる。もっとも、最近は趣味でコラムの仕事をしているらしく、俺の扶養から外れたが。正直なところ俺は、彼女の仕事に興味がない。
主婦として完璧だが、つまらない。それが美由紀という女だ。確かに顔立ちは可愛らしい。けれど、表情に乏しいせいで、魅力が半減どころか八割減になっている。
夕食を食べ終えて風呂に入り、夫婦の寝室に入った。時刻は、午後十一時だった。
ダブルベッドの上で、美由紀はすでに寝息を立てていた。こいつは、家事を終えたらすぐに寝てしまう。
確かに、家事を完璧にこなしてくれるのは有り難い。弁当だって、夜のうちに作り置きするのではなく、朝早く起きて作ってくれる。けれど、夫を置いてすぐに寝てしまう妻に、魅力など感じられるはずがない。俺が不倫してしまうのも、無理のないことだと思う。
俺は下着姿のまま、美由紀が寝ているベッドに入った。手には、夕食時に彼女から貰ったAndroid。今晩のうちに、電子書籍をダウンロードしておこう。明日の出勤中に、電車の中で読めるようにしたい。出勤時間を、ただの無駄な時間ではなく勉強する時間にしたい。
仕事ができる男は、モテる。これは、どんな会社でも共通のことだ。だから俺はモテる。コールセンターのSV。女性が多い職種で、さらに俺は、SVの中でもトップにいる。モテないはずがない。こんな特典があるのも、仕事に関して勉強を怠らないからだ。
Androidの画面を開いて、ディスクトップを表示した。電子書籍のアプリをダウンロードして、IDとパスワードを入れてログインする。購入済みのビジネス書一覧が表示された。その全てにチェックを入れて、ダウンロードを開始した。
これで、明日の朝には全てダウンロードできているだろう。
少し早いけど、俺も寝るか。そう思い、Androidの画面を閉じようとした。画面が暗くなる前に、気付いた。ディスクトップに、サイトのショートカットがある。
俺は画面を再度表示した。
ディスクトップにあったのは『エブリディ』というWEB小説サイトのショートカットだった。
美由紀のやつ、WEB小説まで読んでたのか。どんな作品を読んでるんだ?
興味本位で、俺はショートカットをタップした。
サイトのトップページが表示される。画面中央部には、募集中の文学賞である「エブリディ小説大賞」の表示。賞金まで表示されていた。百万円。受賞作の発表は、七月。
文学賞を取って小説家になって、売れて、金持ちになりたい。夢を抱いて書く奴が、大勢いるんだろうな。そんなことを、冷めた気持ちで考えた。
俺はWEB小説など読んだことがない。当然、このサイトを使うのも初めてだ。閲覧履歴とかは探せないのか。画面にある色々な項目に視線を泳がせる。
画面右上に、マイページ、という項目を見つけた。ログイン、ではなく、マイページ。
美由紀のやつ、自分のアカウントまで作っているのか。どんだけ読み込んでるんだ?
俺は、マイページをタップしてみた。
画面が遷移する。
出てきた中央部の文字が、俺の目を引き付けた。
──投稿済み小説履歴。
美由紀のやつ、自分でも小説を書いているのか。そんな話、一度も聞いたことがない。
まあ、俺と美由紀の間に会話なんてあまりないから、そんな話を聞く機会もないんだけど。
どうせ、小説好きの素人が書いた、素人小説だろう。小馬鹿にした気持ちを抱きつつ、俺は、美由紀が執筆した作品のひとつをタップしてみた。一番上に表示されている、彼女が書いた一番古い作品。もう十一年も前の作品だった。
どうやらこのサイトは、作品そのものだけではなく、その作品に対してどれだけアクセスがあったのかも確認できるらしい。
数字の変動が気になるのは職業柄だろうか。俺は物語を読む前に、作品のアクセス数を見てみた。
投稿当初は、アクセス数は一桁だった。それから、二桁になり。多いときでは三桁になり。
ところが、去年の夏頃から、いきなり数字が伸びていた。四桁五桁は当たり前、多いときではアクセス数が六桁になっていた。
何か作品が知られるキッカケでもあったのか。それとも、それほど面白い作品なのか。
物語を読み始めてみた。
──俺が美由紀の作品を読み始めたのは、午後十一時少し過ぎ。
気が付くと、午前一時半になっていた。
驚いた。その辺に売られている本よりも、よっぽど面白い気がした。まあ、俺は、小説なんてほどんど読まないんだけど。それにしても、だった。つい引き込まれて、没入して、夢中になってしまった。
他の作品は、明日にでも読んでみよう。読んでみたい。
美由紀の物語の中から現実に戻ってきた俺は、興奮覚めやらぬまま、Androidを枕元に置いた。
明日は、最新作を読んでみよう。
そんなことを思いながら眠りについた。
(続く)
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