明日からの鍵

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鍵が壊れてしまった。 家の鍵。 昔ながらの挿し込んで回して開けるタイプの鍵。 新築をたてるとき、電子ロックがいいと言ったのに夫に反対されて泣く泣く諦めた。 だから、鍵が壊れたのは夫のせい。 買物に行くとき。 急いでいたから焦って鍵穴に鍵を挿して、回して。 まあ、無理やり回して……そしたら中で鍵の先端がポキリと折れてしまった。 その時は気がつかなくて、買物をして帰宅して。さあ鍵を挿して……そこでやっと気がついた。 だって鍵が回らないんだから。 私は泣きたくなった。 家に入れない。 とても困る。 夫は中にいるはずだけれど出てこない。 大体、中からだって開けられないんじゃないかな。 内側のサムターン自体を回せないのだから。 でもとりあえず私が家に入れないのは一番大問題。 泣きたい。 とても困る。 スマホで鍵屋さんを検索した。 『鍵、レスキュー』 でてきた業者さんのうち、すぐに家まできてくれそうな業者さんを選ぶ。 電話をすると穏やかな女性の声で、名前や住所、今の状況を尋ねられた。 泣きたい気持ちを堪えて努めて冷静にひとつひとつの質問にこたえた。 こたえないと修理してもらえない。 と思うと真剣になる。 * 裏口の鍵があれば裏口から業者さんを部屋に入れる。または窓を壊す。はたまた玄関のドアを外す。 どの選択肢ももちろん抵抗がある。が、仕方ない。私は裏口の鍵を奇跡的に鞄から探し出し、私と一緒に、業者さんに入ってもらった。 裏口からリビングダイニングを通って、業者さんに本来の玄関まで進んでもらう。 家の中に他人を入れることが嫌なんだけど、鍵が開かないのはその嫌さを軽く超えて、すごく困る。 業者さんは裏口から玄関まで、すたすたと歩いていった。 カチャカチャ ヘッドライトを装着し鍵穴を確認している。 私は横でハラハラしながらそれを見守った。 結果。 やはり鍵が内部でポキリと折れているそうで。 鍵本体を交換するしかないとの結論だった。 はああ。 ため息と涙がついついポロリと出てしまう。 今日に限って。 なんでこんな日に。 なんでこんなことが。 * 2時間もあれば鍵の取り替えができると言われ、とにかく修理をお願いする。 夫は何も言わない。じっと眠っている。 うるさくしてもいい。 カチャカチャ ドンドン ガシャガシャ キュッキュ あ、やっぱりうるさい。 はやく終わって。 私は耳をふさいで呟く。 はやく。 はやく。 やることがあるんだから、はやく終わって。 * 2時間でおおよその作業がおわったらしい。 私はホッとしてまた涙がでた。 これは安心した涙。 でも、書類にいろいろ署名をして、新しい鍵を受け取ると今度はこれからやらなくてはならない作業があることを思い出した。 自信がなくて震える。 加えて、ドキドキして涙がでる。 でもやらねばならない。 私は業者さんに 『ありがとうございます』 と頭をさげた。 * 新しい鍵を鍵穴に挿し込んで、回してみる。 カチャ 軽い音とともに、解錠の感触が伝わってくる。 ああよかったああ。 何事もなく作業が終わって。 何も言わずに業者さんが帰ってくれて。 * 内側の鍵をカチャリとかけておく。 これで今から何があっても大丈夫。 ものを叩く大きな音や、ノコギリを使うたどたどしい音や。 あ、浴室だから水を流しっぱなしにするし。 うるさいかな? でも、いい。 生きてるのは私だけなんだから。 私は浴室で作業する。 さすがにここには入ってこないと信じていたけど、心臓がバクバクもしていた。 ああ良かった。 イレギュラーの鍵交換が無事に終わって。 ホッとしたら、また涙がポロリとでてきた。 ザーザーザー シャワーを流しながら慎重にノコギリを扱う。 鍵交換なんてしている間に体が固まってしまってなんだか動かしにくい。 最後の最後まで、面倒な人だ。 どうして結婚なんかしてしまったんだろう。 でも今日で終わり。 もうこれからは自由。 涙が溢れてとまらない。 これは、これからの自由に心がわくわくして流れる涙。 すべての作業を終えて、夫だったものを入れたゴミ袋の口をきゅっと閉めた。 明日はゴミの日。 * 新しい鍵を鍵穴に挿し込んで、回してみる。 カチャ 軽い音とともに、解錠の感触が伝わってくる。 ありがとう、鍵屋さん。 新しい鍵。 新しい朝。 新しい、自由の日々 ありがとう。 こんにちは。 了

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