パーフェクトエンド

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 夫が帰って来てマフラーをなくしたと言っていた時の事を未だに思い出す。あれで全ての事が、うすうす感づいていながらも認めたくなかった事が全て白日の下に晒されてしまった。夫の明らかに意気消沈した顔、泣きはらした事が丸わかりの目、そしてかすかに漂ってきた女の香水の匂い。私は全てを察しながらマフラーを無くした言い訳を続ける夫に対してああそうなのと平常心を装った。夫の泣きはらした目を見て私は女と縁が切れた事を察したが、別に喜ばしいことではない。なぜ私は夫が女と別れるまで浮気に気づかなかったのか、いや気づいていながらも、なぜ頑なに彼が浮気している事を無意識に無視しようとしたのか。これは私の弱さだ。それを認めたら、そしてそれを夫に問いただしたら彼は女の所に行ってしまうかもしれない。多分それが怖かったのだ。  夫はその日から私への態度が急に変わった。いつも妙に苛立って毎日逃げるような態度を取り始めた。私はもうすぐ海外に行くのになんて落ち着きのないことだと呆れたが、しかし夫にはそれを言うことはできなかった。出来るだけいつものように取り繕って夫に勘ぐられないように彼を見送ってそれで何せずにずっと一人落ち込んでいた。  夫が付き合っていた人と会ったのは彼が海外に旅立つ日だった。その時私は夫と共にハイヤーで羽田まで行ってそこで会社の人たちと会ったのだが、その中に彼女もいた。一目見て綺麗な人だと思った。これじゃ夫が浮気するのは無理がないなと思った。彼女はひたすら不自然な態度を取り続けている夫と違って冷静でいかにも会社の同僚として振る舞っていたが、私は彼女のふとした仕草、その彼に見せた一瞬の切ない顔を見逃さなかった。もう火遊びは終わったのよ。早く夫を解放してよなんて怒鳴りつけたらさぞかし夫もこの人も困り果てるだろう。そうやって多分私だけが感じ取っているこの秘密めいた雰囲気をぶちこわしたかったらさぞかし面白いだろうと思った。でも夫はまだ私とはつながっている。まだリールで彼をつなげている。もし夫が彼女と寄りを戻してリールを外して彼女と遠くに行ったら。いや、現実的にまだ夫に未練ありありの彼女が夫を追ってニューヨークに行ったとしたら。  夫のいない部屋で一人でいると不安がむくむくと起き上がってくる。そういえばあのマフラーはホントに失くしたのだろうか。もしかして彼が持っていないだろうか。マフラーをなくしたといったあの日から彼は一度もマフラーの事を口にしなかった。旅立つ前に一度聞いておけばよかったと後悔した。『あなたあのマフラーホントになくしたの』って問い詰めたら彼はどんな反応を見せただろうか。慌ててホントにないんだと弁明するだろうか。 「あっ、古村さんお久しぶり。そういえばご主人今ニューヨークなんですって」  と久しぶりに来たスイミングクラブで新庄さんの奥さんに聞かれた。私はそれに対してあいまいな笑顔でそうですねなんて答える。すると新庄さんはうちの旦那も海外出張していた時あるから今のあなたの気持ちわかるわと言い出した。「旦那が現地の女と浮気したらどうしようってさ」  彼女はズバリ私の不安を言いあらわしていた。まぁ、私の場合は現地の女じゃなくて夫の元浮気相手、いやもしかしたら寄りを戻すかもしれない女だ。 「そんでなんか疑いが擡げてたまらなくなってマッチングアプリなんか始めたんだけど、すぐに飽きちゃってさ。でも出会いなんてなかなかないよね。ウチのスイミングクラブの先生だってただのおっさんだし」  私は新庄さんの奥さんの話に少し興味を惹かれて考えた。もし私がマッチングアプリなんかで誰か、若い男の人とでも浮気して、それが露見した時彼はどういう反応するだろうかと思った。彼は私を叱るだろうか、それとも後ろめたさから黙認するだろうか。何ならといって試しにマッチングアプリをスマホに入れて登録しようとした時、やっぱりいけないと思ってすぐ削除した。これじゃ私は最低になってしまう。いくら夫への当てつけだからといってそこまで落ちたくはない。何なら夫のように思わず声をかけたくなるような人と偶然会う夢でも見た方がマシだ。  夫のいない部屋に一人でいると気分が塞いでどうしようもなくなる。夫が海外に赴任が決まった時、さりげなさを装って一緒に行こうかと言ったのはそれなりの覚悟があった。だけど夫からはたった一年だしという現実的な理由で断られた。私もその時は夫の言う通りだと考えたが、だけどこうして鬱々とした毎日を過ごしているのだから、やっぱり一緒に行けばよかったと思う。夫からは毎日メールが来るが、そこにはありきたりの言葉しか書いていない。お前がいないから淋しいよなんてどの口で言えるんだ。さんざん私を裏切って挙句の果てに女に振られて泣いたりして!  そうやって家出クサクサしていたらもう壊れそうだったのでいつもは週一で通っているスイミングクラブを週三にした。そしてもう本格的に水泳を学ぼうと思った。私はスイミングクラブに通っているとはいえ、あまり泳ぎは上手くないし、通っている理由だって殆どダイエットのためだ。だけどもう夫との事で悩むのにうんざりしたので何か集中できるもので気分を晴らそうと思ったのだ。  週三でスイミングスクールに通うようになって私は猛烈に水泳にのめり込んだ。最初は確かに泳ぐのには苦労したが、ある程度慣れたら水の中で中に動けるようになったので、それで大分癒された。水を懸命に泳いでいる間だけは夫のことも、不安も忘れられた。だがそれも一瞬だった。泳ぐのに慣れて完全に余裕が出た時、また不安が頭をよぎるようになった。私はその不安を消そうともっと激しく泳いだ。先生はそんな私に無理して泳ぐなと注意したけど、それでも泳いで我を忘れなきゃ不安になった。あの日も私は懸命に泳いだ。いつもよりずっと泳いだ。だけど先生の警告通りやっぱり無理が出たのか。プールの真ん中あたりで突然体に力が入らなくなってしまった。ぐるぐると波で回されているような感じになって私はそのまま気を失った。  再び目を覚まして私は慌てて体を起こした。私はどうやら溺れていたようだ。みんなが上から私を心配そうに見ていた。 「ああ、ようやく気付いたんだね。全く心配したよ。もう少しでドクター来るからね。あの古村さん、今度からは無理しないで自分のペース配分考えて泳いでくださいね」  私はその後やってきたドクターの診察を受けてとりあえずタクシーで家まで帰ったけど、家に着いた瞬間急に涙が止まらくなった。やっぱりダメだ。どうしても夫の事が気になってどうしようもないのだ。だが夫はここにはいないのだ。私はふと何気なしにメールを見た。したらそこに夫から赴任が延長になったというメールが入っていた。私はもう一人でいたくないと思った。このままあの人を一人にしたらいずれリールを切ってどっかにいってしまう。そうなる前にはもう私もニューヨークに行くしかない。私はすぐに夫に電話してこう言った。 「今メール読んだ。あの、私もニューヨーク行っていい?やぱりあなたがいないと私ダメなの。もうこんな不安はこれっ切り、完全に終わりにしたいの」 「なんだよ、お前らしくないな。てっきり俺は私たちの関係はもうパーフェクトエンドにしたいって冗談言うのかと思ったぜ」 「バカ!本気で怒るよ!私が今そんな冗談言うと思ってるの?パーフェクトエンドなんてカッコつけていられるのは不倫しているカップルだけなんだから!」

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