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薫風(くんぷう)がどこからともなく部屋の中へそよぎ、襟元を撫でていく。 柔らかな春の日差しが、障子を透かして部屋に差し込んだ。 「とても綺麗よ、文緒(ふみお)」 「ありがとうお母様」 帯を締める母の菜穂子(なおこ)に、本條文緒(ほんじょうふみお)は微笑み返す。 白地に淡く藤色が滲むようにぼかし染めが施された振袖。この振袖を母はとても気に入っていて、よく文緒にも見せてくれていたものだった。 袖を通した正絹(しょうけん)の光沢がわずかに光を含んで、艶やかに輝きを増す。その柔らかく上質な手触りに自然と背筋が伸びる。 「お支度はよろしいでしょうか」 廊下から聞こえてきた女中の声に、文緒は小さく息を吐き出した。 「もう少しです」 鏡台に映る自分の姿を見つめる。 「本当にいいの?今ならまだ……」 菜穂子の口からほろりと零れ落ちた言葉に、文緒はほんの少し胸が締めつけられる。 まだ、引き返せる――― そう言いたげな菜穂子に文緒は小さく、けれどもはっきりと首を振った。 唇をきゅっと引き結んでから、肩に置かれた菜穂子の手に自分のそれをそっと重ねる。 今日、文緒は綾羅城(あやらぎ)家へと嫁ぐ。 その夫となる人は、綾羅城家の令息――綾羅城空黎(あやらぎくれい)。 帝都の(あやかし)討伐において、その圧倒的な力から『稀代の才能』と謳われた最強呪術師。 そして、不治の病に蝕まれ余命一年を宣告された身でもあった。

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