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✩.*˚
ネズミの話はロミオから聞いていたが、まさか本当に出るなんて…
「申し訳ありませんでした。
あの部屋は事前に駆除剤でネズミを追い出していたはずなのですが、処理が甘かったようです」
幾分か落ち着いた様子になったのを確認してアビゲイル嬢に謝罪した。
まだ一日目だというのにこれでは不安しか無い。
「あの…すみません…殿下のお部屋にお邪魔して…」
「いえ。一番近い部屋で除鼠香を焚いた場所は此処でしたので…
もう気分は落ち着きましたか?」
そう訊ねるとアビゲイル嬢は小さく頷いた。
部屋に来たばかりの時はまだ顔色が悪かったが、今はだいぶ顔色が戻ったようだ。
何なら少し顔が赤いくらいだ。緊張しているのだろうか?
彼女は時々怯えるように部屋のあちこちに視線を向けていた。
「あの…船ってあんなに大きなネズミが出るんですか?
それとも、トゥルケーゼのネズミはあんなに大きいんですか?」と、彼女はまだネズミの影におびえていた。
あのネズミはそんなに大きかっただろうか?
「エヴァーグリーンランドのネズミは知らないですが、あのネズミは普通のネズミですよ。多分怖かったから余計に大きく見えただけです」
「そういうものでしょうか?」
「怖いものとか嫌いなものは誇張されて見えるものです。
明日にはお部屋を使えるようにいたしますので、今夜はこちらのお部屋をお使い下さい」
「え?あ、あの…殿下は?」
「私は別の部屋で寝ます。ご心配なく」
「で、でも…」
「ご心配なく。部屋をご用意できなかったのは私の失態です。アビゲイル嬢には一晩ご迷惑をおかけします」
「…申し訳ありません。譲っていただいてばかりで…」と彼女は私に詫びた。
何を譲ったのだろう?と不思議がる私に、彼女は言葉を続けた。
「あちらのお部屋も、私のために譲っていただいたのですよね…」
「あ…」
どうやら彼女が部屋を見回していたのはネズミを探していたのでは無かったらしい。
確かにあちらの部屋は王族がくつろげる様に一番大きな造りになっている。使用人の控室もあるし、彼女のためになるならと部屋を譲ったが、それを彼女は少し気にしてしまったようだ。
「客人に良い部屋を用意するのは当然です。それに、私はこの部屋で十分ですので」
「お父様には殿下のご親切を伝えます。私にはそれぐらいしかお礼する方法がありませんので…」
「それには及びません。ネズミの一件も公爵のお耳に入ってしまいますから。私が叱られてしまいます」
「あ…」
「ですのでこの件は公爵へはご内密に願えますか?私を助けると思って」
私のお願いに彼女は小さく笑ってくれた。
「殿下を悪者には致しませんわ」と言って微笑む彼女は愛らしい笑顔を取り戻していた。
やっぱり彼女には笑顔が似合う。淑やかに微笑む姿には品があった。
「良かった。これでトゥルケーゼの名誉は守られます。
これはお礼をしなければなりませんね」
そう言って机の引き出しから筆入れを出して彼女の前に広げた。眼の前に広げられた筆入れを見てアビゲイル嬢は嬉しそうに目を輝かせた。
「わあ!すごい!これ全部ガラスのペンですか?!」
「えぇ。私の個人的な持ち物です。
アビゲイル嬢はガラスのペンを気に入っていらっしゃったようなので、どうぞ手にとって御覧ください」
「ありがとうございます。綺麗ですね。宝石みたいで、キラキラしてて…色だってこんなにたくさんあるんですね」
「トゥルケーゼ王国ではガラスは素材として重宝されます。物理的な強度は弱いのですが、ガラスは魔素の伝導が良いのです。加工技術の研究も盛んです」
「私は透明や白く濁ったガラスしか知らなくて、こんな赤だったり青だったり多彩な色が出せるものと知りませんでした。
あ!これもすごいです!」
ペンを手にとってはしゃぐ彼女は年相応の少女だった。
彼女が次に手に取ったのは黒いガラスの軸に金粉を混ぜたデザインのガラスペンだった。
「夜空みたいですね。お星さまみたいにキラキラしてます」
彼女はそう言って物珍しそうにペンの角度を変えながら観察していた。
「それはカゼッラ工房のものですね。とても腕の良い職人の作品です」
「素敵ですね。持った感じも手に馴染んで使いやすそうです。
あ!もしかしてこれも同じ工房で作られたものですか?」
そう言って彼女が次に手にしたのは緑の軸に金粉を閉じ込めたペンだった。ペン先は赤く、花の蕾のように溝が刻まれている。
「よく分かりましたね。これは薔薇の蕾をイメージした作品で…」
ガラスのペンに興味を示してくれるのが嬉しくて、ついたくさん話してしまった。
彼女は嫌な顔一つせずに、私のペンの説明を楽しそうに聞いてくれた。
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