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本棚に追加幸せが続きますように
今日は最悪。
珍しくお弁当作ったのに玄関に置き忘れ。
すっごく大事なファイルを上書きして保存。
コーヒーはこぼしちゃうし。
ちょっと泣きたい気持ちで給湯室にかけこもうとした。
クッキーの1枚くらいつまんで元気になりたくて。
なのに。
入口の手前で聞いてしまった。
私の気になっている先輩と、誰かの会話。
『別れた元カノのことを最近思い出すことがよくある』って。
──なにそれ。
思わず呟いて。
給湯室に入らずクッキーも食べずに席に戻った。
元カノさんのことなんか知らない。
そりゃあ付き合ってきた相手がいるのは当然で。むしろ年齢と彼女いない歴が同じだったらそれは驚いちゃうけど。
でも、そんなに頻繁に思い出したりするんだ……とか思ったらもう悲しくなってしまった。
あーあ。
まだ気があるんだろうか。
じゃあさ、じゃあ。
バレンタインに私に生チョコマンゴー大福とか、どうしてくれたりしたの。
そんな手の込んだもの、どうして作ってくれたりしたの。
ついつい思考の沼にはまりこむ。
仕事が手につかない。
でも納期が今日の終業までだったから、何とか指を動かした。
たぶん目と鼻の頭を赤くしてる私を、先輩がチラチラ見ているのはわかったけれど。
だからといって先輩に泣きついて仕事を放り出すのは絶対に嫌。
ふうう。
納期ギリギリで提出して、PCの電源を落とす。
──もう。さっさと帰ろう。
カバンにお茶やスマホを押し込んで、私は席を立った。
すると。
「郁、帰るのか? ちょっと待って一緒に下に降りる」
「え」
なんだろう。
なにか、私がしただろうか。
頭がぐるぐるしている私をよそに、先輩は手早くカバンに私物を詰め込んだ。
それとは別に、きれいな紙袋を持って。
無言で歩く。
先輩から逃げるつもりで早々に仕事を終わらせたのに。
うう。
こんな状況は予想外。
自然と足が速くなっていて──。
「郁サン? なにか言いたいことでもある?」
「え」
「ありませんか?」
「先輩こそ」
「はい?」
私はそこで軽く息を吸う。
そして。
「こ、こないだのバレンタインの生チョコマンゴー大福、すっごくおいしかったです。けど」
「けど?」
「そういうのは私にじゃなくて、その、えっと……」
言い淀む私の顔を、先輩は小首を傾げて覗き込んでくる。そして私を促すように言葉を続けた。
「郁に、じゃなくて?」
つい目を逸らしてしまう。
「他にあげたい人が、いるんじゃないですか? き、給湯室で話してたみたいな元の……とか。ああ、私はそりゃあ先輩のくれるものならなんでも嬉しいですけどでも。他の人にあげるための練習作品、とかはちょっと……ちょっとだけ、いや、です」
軽く言ってるつもりだったのに、最後は声が震えてしまった。
気づかれてしまったかもしれない。
必死で目を合わせないようにしてるのに、先輩の視線が追ってくる。
だから、私はぎゅううっと目を瞑った。
のに。
「じゃあ質問」
「え」
いつもより低い声に思わず目を開けてしまったら、思いのほか至近距離に先輩の顔があった。
「わわっ」
「これ、なんだと思う?」
「──え?」
カバンと逆の手でずっと持ってたきれいな紙袋。先輩はそれをぐいっと私の前に差し出してくる。
だから私は、先輩の視線から逃げるタイミングを失ってしまった。
「あの、えっと」
「ほれ、開けて」
見ていいなら質問じゃないんじゃ……なんて呟いて、私は差し出されるままに紙袋を受け取った。
そおっと中を覗く。
──これ、って。
「さて何でしょうか?」
紙袋の中にさらに、綺麗な水色の包装紙。
これってこれって。
このあいだのバレンタインも、こうなってたの覚えてる。
「あの、マンゴーの生チョコの、」
「ちがいまーす」
「でも、あの」
──次はいちごで作ってやるから。
バレンタインのとき、確かにそう言ってくれた。覚えてる。
なら、もしかして。
「もしかして、いちご、生チョコのいちご大福、とか……?」
先輩はニヤリと笑みを浮かべた。
「練習じゃないぞ? これは郁のために作った郁への贈り物だ」
*
公園のベンチに隣り合って座って、自販機で買ってくれたコーヒーの缶をプシュッと開ける。
あたたかい。
ふたりともコクリコクリとコーヒーを飲んで、しばらくすると先輩はゆっくりと口を開いた。
「大体どのあたりを盗み聞きしてたかは見当がつくとして」
「盗み聞きって……けっこう大きな声でした」
「そおかあ? まあ聞かれて困ることではなかったってことで」
「も、元カノさんのことなのに?」
お互い飲み終わったコーヒーの缶は足元にそっと置いておく。
そして改めて、元カノさんのことを聞くと。
ああ、と先輩は顎に人差し指をあてた。
「元、だから別に。じゃあどうして別れたか聞きたい?」
う。
うう、聞きたいような聞きたくないような。
耳を塞ぎながら薄目でぼやあっとしたままでいたいような。
私の表情が可笑しかったのか、先輩はふっと息を吐いた。
そして続ける。
「ありがとう、がなくなっちゃったんだよな」
「え?」
『ありがとう』?
「美味しい嬉しいありがとうって。料理作ったら初めは言ってくれてたのに。いつのまにか減ってきて、気がついたらなくなってた。俺が料理作って当たり前みたいになってきて。その頃になるとなーんかぎすぎすしてきて。会うのためらってたらそのまま自然消滅」
「……はあ」
それと私とどう関係があるの──。
「郁はいつも喜ぶだろ? それ見てたら元のほらあいつは言わなくなったんだよなあって。比べるの失礼ってわかってて言うけどな? やっぱり喜んでくれたら嬉しいし可愛いし、もっと作ってやりたくなるし……っていう」
そこで先輩は口をとじた。そしてもう一度、ゆっくりと私に問いかけてくる。
「ってこと。わかる?」
「──わかるような、わからないような」
つまりこれは。
この生チョコいちご大福は、えっと。
元の…さんのための練習じゃなくて、ちゃんと私のために作ってくれたもので。
私への贈り物ってことで──。
目をあちらこちらに彷徨わせ、紙袋を抱きしめていると。
ぶはっ
先輩が吹き出して肩を震わせた。
「じゃあ、わかんなくてもいいよ。それを食べて、おいしい!ってお前が喜んでくれるなら」
*
「私があげたバウムクーヘンですけど」
「うまかった」
「それだけですか?」
「手作りではなかったな」
「……生チョコマンゴー大福や生チョコいちご大福に勝てる手作りはないです」
私は口をとがらせて抗議する。
「いや、そうでもないだろ」
「私の最終兵器みたいな凶器みたいな手作りブラウニーとか、食べたらわかります」
私の返事に暢気な声で笑う先輩には、一度私の真の実力を見せたほうがいいかもしれない。
そうだ。
「いちご大福って、作るの難しいですか?」
「いちごで勝負するならおそらく99%勝てる」
勝てるって何にだろ? かすかに疑問。
その残り1%に入り込んだらごめんなさい。
心のなかで先に謝っておく。
「あの、じゃあ私、3粒で1000円っていういちごをこないだスーパーで見たんですけど。それを使って作る生チョコいちご大福、教えてもらえませんか? 迷惑かもって思うんですけど、一緒に」
先輩は目をパチパチさせて。
それから、うんうんと何度も頷いてくれた。
よかった。
もしかして。
先輩が見ててくれたら奇跡的に成功しちゃうかもしれない。
そしたらどうしよう?
──そんな当たり前じゃない幸福に、伝える言葉は、そう。
「ありがとう、ございます」
胸がいっぱいで、その言葉だけをやっと絞り出す。
「ところでさ、『この幸せが続きますように』って意味があるんだってな。バウムクーヘンに」
「あの、それはあの、……はい」
先輩が突然言い出すから私は上手に返事ができなくなる。
はぐらかしたり誤魔化したり、そんなことができなくなってしまう。
頬が熱い。
「こちらこそ、ありがとうだな」
……その笑顔がっ。
すごくすごく優しい笑顔が。
私の心臓止める気ですか。
いや違う。
「写真撮っていいですか」
思わずスマホを構えて返事を待たずにシャッターを押した。
先輩は驚いたように目を開く。
やば。
前に先輩をこっそり撮った写真、すべて消されちゃったことがあったんだった。
絶対に消せって言われちゃう。
ううううー。
スマホを後手に隠し、座りながら後退りしていたら
カシャ
っと小さく音がした。
先輩のスマホカメラが私のほうを向いている。
「お返し」
つまり先輩のスマホの中に私の写真があって──。
ブワっと頭に血がのぼる。
うわ。
なにこれ恥ずかしい。
でも嬉しい。
「今度の日曜な」
「え?」
「生チョコいちご大福。一緒に作ろうな」
「──はいっ」
手元には、消せって言われなかった先輩の笑顔が。
ああどうしよう。
この笑顔を壊さないように、生チョコいちご大福を作れるだろうか。
先輩に、先輩がくれたみたいに贈り物をお返しできるだろうか。
私のひどい不器用さにやっぱり呆れられてしまうだろうか。
なんだかどきどきする。
でもとりあえず。
先輩のくれるものはなんでも。
すべてが私にとって最高の贈り物。
願わくは。
──この幸せが、ずっと続きますように。

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