香る鏡

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「昨日、覗いてたでしょ」  放課後、教室から人がいなくなるのを見計らって、沢木くんに声をかけた。  電気はついていないので、窓際以外はほんのり暗い。窓は壁の半分を占めていて、そこから差し込む西日の中を、埃が舞っている。チカチカと(またた)いているようで、埃なのに綺麗だと思った。  沢木くんの席は廊下側の一番前。一方、私は窓際の後ろの席で、真逆に位置している。  振り向いた彼は驚いた顔をした。日直日誌をつけていた沢木くんは、自分が最後だと思っていたのかもしれない。いや、私の言葉に虚を突かれたのか。  隣に私が歩いて行くと、彼は目をぱちくりとさせる。 「三波さん」  確かめるように名前を呼ぶので、声をかけたのが私だと、彼が分かっていなかったのに気付く。逆光で顔が見えていなかったらしい。 「沢木くんさ、うちの庭、見てたでしょ。A公園の近くの赤い屋根の家」  重ねて言えば、エッと彼は声を上げる。 「あの家、三波さんちだったの?」  細い目をいっぱいに開いた。 「知ってて覗いてたんじゃないの?」 「違うよ。三波さんちの場所なんて知らないし」  落ち着き払って答える。ムキになって否定されたら嘘っぽかったのに。どうやら誤魔化してはいなさそうだ。  昨日、部屋でゴロゴロしていたら、お母さんに呼ばれた。せっかくの日曜日なのにと文句を言えば、男の子が庭を見ているとのこと。渋々カーテン越しに外を窺うと、同じ年頃の少年が確かに庭を見ていた。  すわ不審者かと身構えたが、すぐに相手がクラスメイトだと気付く。私に用事なのかと考えたけど、彼はインターフォンを鳴らすことなく、帰ってしまった。  いったい何の用だったのか。  わざわざ家にまで来るなんて。  早く沢木くんに問い質したかったけど、クラスメイトたちに聞かれたら、鬱陶(うっとお)しく騒ぐに決まっている。だから、こんな時間まで残って、二人きりになるのを待っていたのだ。 「誰だか知らない人んちを覗いてたの? それもそれで、どうかと思うけど」  私は沢木くんの後ろの席に座る。 「確かに。危なかった。通報されてたかも。だったら今頃、大騒ぎだよね。いやあ、三波さんちで良かった」  そんな軽口を叩く。私はバカ、と笑った。 「で、何してたの? 泥棒に入るために物色してた訳じゃないでしょう」 「うーん……」  沢木くんは眉を八の字にして(うな)った。何やら答辛そうである。 「言えないこと?」 「いや、そうじゃないんだけど。三波さんちの庭って、きちんと手入れされてるよね。ガーデニングが趣味なの?」 「私じゃなくてお母さんがね。なに、庭の花を見てたの?」 「そうだけど、変かな」  躊躇(ためら)いがちに聞いてくる。正直、珍しいなとは思うけど、つい足を止めて見入ってしまったというのであれば、悪い気はしない。  私はぶんぶんと首を振った。 「私はいいと思うよ」  安心させるため渾身(こんしん)の笑みを作る。  しかし、彼はただ、そう、とだけ呟いた。
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