―――プーと言う発信音の後にメッセージをお入れ下さい。 留守番電話で別れを告げる女を、彼はどう思うだろうか。呆れて忘れてくれればいい。
私は久しぶりに降り立った故郷の駅で、恋人に別れを告げた。
―――残響―――
鬱陶しい位の夏の暑さの中、久しぶりに見た故郷はこれと言って変わり映えが無かった。 変わらなすぎて、気持ち悪い位だ。本当に、十年も経ったのだろうか?駅に立ち尽くし、辺りを見回す。(暑い…)
取り敢えず、家に帰ろう。ボストンバッグを肩にかけ直すと、タクシー乗り場へ向かった。
数年前に整備された田舎の駅にしては立派なターミナルに、二台のタクシーが止まっている。その内の一台に声を掛け乗り込んだ。
一家に一台と言うより、一人に一台車が普及している田舎では、タクシー業者と言う職業が成り立つのか不思議でならなかったが、なる程役に立つものだ。
「そこの信号を右に入って下さい。」
「ここ?」
「はい、そしたら直ぐに左に、ええそこです。」
料金を支払って久しぶりの実家の前へ降り立つ。
(ここも変わらない・・・当たり前か)
ガラリと引き戸を開けると、母の呑気な声が出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま」
取り合えず居間に荷物を置くと、母が「それだけ?」とボストンバッグを指差す。
「うん・・・捨ててきた」
「はあ?勿体無いことするわねえ!」
麦茶を置く手が止まる。
「あんたさあ、28にもなって仕事やめてどうすんの?」
この人には労わりの心と言うものが欠けている、と私は思う。
文句を言いながら、座卓に腰を据えると真面目な顔を作ってこう言った。
「諒一君とは?」
「・・・別れた」
数秒程の沈黙と、呆れ果てた顔を残して母は台所へと消えた。
諒一は、いつあの留守番電話を聴くだろう。「さようなら」とだけ短く入れた素っ気無いあの言葉を。
今はまだ仕事中の筈だ。昼休みにもう聴いただろうか。
だとすれば、午後は仕事にならないかもしれない。
・・・・・優しい彼の事だから。
時計を確認すると、十二時五十分を指していた。携帯を確認し、そして私の番号を回して唖然とする彼の顔が思い浮かぶ。
私は携帯も以前のものは解約して来たからだ。
「あんた、何か食べてきたの?」台所から疲れた声がする。
私が諒一と別れたと言ったからだろう。母は彼がとても気に入っていた。
「ううん」
「そうめんで良い?」
「うん」
遅めの昼食を済ます間、私は母から散々小言を聞かされるハメとなった。「早く結婚すれば良かった」から始まり、「住むのなら早く仕事を」まで。 たっぷりと三十分はかかっただろうか。
その間、私は只ひたすら「うんうん」と頷き、「役所へ行ってくる」と言って逃げ出した。
そして、あの坂の途中に向かった。私の心が縫い止められたあの場所へ。
高校一年の夏休み。
私は部活に入るでもなく、塾に通うでもなく、ましてや友達と遊び歩く事もない、暇な毎日を過ごしていた。
夏は嫌いだ。暑いし、虫はいるし、汗でベタベタになる。じゃあ、冬はどうかと聞かれたら、それも困るのだけれど。
「そんなにダラダラとしているなら、バイトでもしたら?」と母に嫌みを言われ、その時は「図書館に行く」と言って家を逃げ出して来た所だった。
そうして、高台にある図書館への坂道をユルユルと重い足取りで登り、この階段を上がれば図書館に着く。
そこに居たのだ・・・あの人が。
当時の私からは随分と大人に見えたが、後から知ったあの人の年齢は二十三歳だったそうだ。
階段の一番下に腰を掛けて、ただ景色を眺めてじっとしていた。でも、その目は何も捕らえていないように見えた。
よれよれのシャツにベージュの綿パンツ、それにサンダル。無精ひげに伸びっぱ無しの髪。
どう見ても危ない人にしか見えないその人が、その当時の私には、何故かとても綺麗に見えたのだ。
何に惹かれたのかは今でも解らない。
母には図書館で勉強をすると伝え、私は毎日この坂道を登った。
通い始めて五日目、あの人の座る場所から四段ばかり空けて階段に座る。 それからまた五日後、階段の一番下、あの人とは反対側の端に腰を下ろした。横目でチラリと彼を見る。
やっぱり綺麗だ、と思った。
それからまた五日ほど経って、漸く「キミ・・」と少し離れた隣から声がした。ドキリとしてそちらを見ると、あの人は顔を動かさずにまた聞いてきた。「キミも、ここの風景好きなの?」
「・・・ああ、私は・・・貴方が何を見ているのか気になって」
それが、あの人と交わした最初の会話。
それからは会うたびに、ポツリポツリとあの人が話す時だけ会話をし、天気が悪くて会えない日は、何となく寂しかった。
でも、段々と解ってくる。あの人は景色なんか見ていない。それどころか、この世の何所も見ていないんじゃないかと思った。
会えない日が寂しい、から一緒にいても虚しいに変わるまで、そう長くはかからなかった。
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